1級/知財法務実務
第28回 知的財産翻訳検定 1級/知財法務実務 講評
【問1】
知財実務の分野できわめて重要な事項として、「法令等で定められた手続期限を遵守する」ことがあげられます。このような期限を徒過すれば、最悪の場合権利取得の途が閉ざされるおそれがあるからです。今回の問1の出題は、日本特許庁にPCT国際特許出願の国内移行手続をする際に、庁に国内移行の意思を示すための書面である国内書面と、国際出願の明細書等の翻訳文提出を怠った事案について争われた行政処分取消請求訴訟の控訴審判決に材を採りました。一審で主張が認められなかった原告は知財高裁に控訴しましたが、やはり請求は棄却されました。問題文は「裁判所の判断」の部分です。控訴人は国内書面提出と翻訳文提出の手続について内外人不平等が存在するなどの理由を述べて特許庁の手続却下処分が不当であることを主張しました。知財高裁はそれらの控訴人主張を次々に否定しています。
翻訳に話を進めますと、裁判所が述べている論旨は明快と言えると思いますが、判決文らしく(?)長めの文章で構成されているので、論理を変更・逸脱しない範囲で適宜に文章を切るようにすると訳しやすくなります。また「るる事情を述べて」のような言い回しについても読み替えると見通しがよくなるでしょう。
特許法上の用語の対訳語は、例えば日本法令外国語訳データベースシステムなどから得ることができます。ただ、当該データベースにも注記されているように、公開されているのはあくまでも仮訳ですので、鵜呑みにすることなく適訳であるかどうかは立ち止まって考えてみることも必要かと思います。例えば本問に現れる「正当な理由」については、前記データベースに採用されている”legitimate reason”というよりは、”justifiable reason”といった他の訳語の方が意味としてはふさわしく思います。なお、手続懈怠の場合の回復を認める正当な理由の意義については、例えば「工業所有権法逐条解説」(日本特許庁ウェブサイトからPDF版を入手することができます)の該当条文に解説がありますので一読されるとよいでしょう。冒頭述べたように、実務家としては手続期限の徒過はあってはならないことですが、万一の場合になんらかの補完・回復手続が可能であるか、可能とすればその条件はなにかなどについては、実務家としては知悉しておくことが求められます。
以上を踏まえて、今回提出された答案は、概ね問題文を上手に咀嚼していて、「飽くまで異なる趣旨に基づく別個の手続」、「控訴人は,実態を踏まえた実質的な比較をすべきだとして種々主張する」、「比較の対象とはならないものを比較する」、「そもそも異なる手続を同列に扱って」等のそのまま右から左に翻訳するのが難しいと思われる箇所も総じて工夫した翻訳をされていて受験者諸氏のレベルの高さを感じました。採点に当たっても、原文の意味内容に沿っていると判断される限り、正答の範囲を広く構えるようにしました。参考解答などを参照され、どの程度の訳文が合格レベルであるのか、感覚をつかんでいただければ幸いです。
なお、余談になりますが、最近、Google翻訳等のいわゆる機械翻訳の急速な進歩に伴い、特許翻訳等の知財分野の翻訳についても、機械翻訳をどのように利用すべきか、といった具体的な問題に論点がシフトしていると思います。この点、本文のような裁判所の判決文は、文の構造として入れ子式に入り組んでいたり、特有の言い回しがあったりすることで、単にそのまま機械翻訳エンジンに入力しても、誤訳、訳抜け、沸きだしといった問題により、使用に堪える結果が容易には得られないという問題があります。この際に、人が翻訳する前に対象原文の意味をとるべく整理するのと同じように、翻訳エンジンにかける前に、対象原文を整理することにより(プレエディット)、より利用しやすい結果を得ることができる可能性があります。これについては、たいへん初歩的かつ粗雑な論考ではありますが、「日本翻訳ジャーナル」(No. 298, 2018年11月/12月号, 日本翻訳連盟)の「特許翻訳の新潮流」という特集記事中の知財法務実務の項をご笑覧いただければと思います。確かなのは、いかに機械翻訳が進歩して見かけの翻訳精度が向上したとしても、その結果を適切に判断するためには高度で専門的な言語処理能力を獲得した人の存在が、(当面、という留保を付すとしても)不可欠であり、そのための研鑽は不可避である、ということだと思います。
今後もより多くの皆さんが知財法務実務の分野で挑戦してくださることを祈念しています。
【問2】
「知財法務実務」の翻訳に携わる方とは、特許事務所・法律事務所、企業内知財部・法務部等のそれぞれの立場において、いわゆる特許明細書翻訳以外の翻訳ニーズを満たすことを期待されている人材との想定の下、「知財」の名の示すとおり特許以外の分野にも「法務」の名の示すとおり権利活用・行使の場面にも対応することのできるジェネラリストとして、かつ法律関連文書を取り扱うことのできるスペシャリストとしての力量を試すことを目的としています。
上記に鑑みて、本問では、ジェネラリストとして「あまり知識のない分野の題材であっても、想像力を駆使して設定背景を咀嚼することのできる力」、またスペシャリストとして「文書の細部にまでこだわることのできる力」を見ることに主眼を置いています。したがって、従来から繰り返し強調しているとおり、今回の場合であれば、職務発明などの知識は何ら要求しておらず(これらはあれば加点要素です。)、「和文和訳(=原文咀嚼)」と「細部までの正確性」とをどこまで追求できているかを判断基準としています。
各小問について、全体的な流れとして、「業務発明」(会社の業務範囲に属する発明であるが、業務遂行により完成されたか否かを問わないもの)の中から、「職務発明」(会社の業務範囲に属する発明であり、かつ当該会社における現在又は過去の職務の遂行により完成したもの)を特定していくプロセスが綺麗に取りまとめられるかという点を見ています。すなわち、業務発明=必ずしも会社が取得を主張できないもの、職務発明=会社が取得を主張できるもの、という整理ができた上で、訳出できていることがポイントです。なお、各小問とも、定義語についての指示を遵守できていない答案が見受けられました。法律文書において定義語は非常に重要です。先頭大文字で記載して、特別な意味であることを一貫して示し記載することが肝要です。これを遵守できない答案は、減点対象にしています。
第1条は、「従業員等」の訳出に苦労されたとおぼしき答案が多くありました。また、一部の答案は、「役員」についても「当社が雇用する者」の中に含めてしまっているものが見受けられましたが、役員(概して、取締役、監査役、執行役など)は、会社により「雇用」されているわけではなく、「委任」されているのが会社法上の建前です(もちろん従業員兼役員という例外もありますが)。よって役員が「雇用」というのは正確でありません。一方、役員を「Board Member」と訳出されている答案も見受けられましたが、Board Memberとは取締役会(Board of Directors)で議決することのできるメンバーのこと、つまり取締役のみに言及していますので、執行役などが除外されている点注意が必要です。会社の仕組みが日本と欧米諸国では異なるので、なかなか訳しにくいところではありますが、英文契約では一般に単にofficer又はexecutiveとすることが多いので、今後のご参考までに押さえておかれるとよいでしょう。
第3条について、比較的出来がよかったように思いますが、「知的財産部長」の訳出として、Manager of Intellectual Property Departmentと先頭大文字で訳出した答案と、manager of intellectual property departmentと全て小文字で訳出した答案の2種類が見られました。部門名を先頭大文字で訳出した場合、これは現存する特定の部門に言及する意味になりますが、部門名を小文字で訳出した場合、部門として現存するかどうかは一切問わず、知的財産を専門とする部門の長という意味合いになります。ここでは、現存の会社組織を前提として採択されている規程との前提の下、現存する特定の部門に言及する、と解釈して、参考解答では先頭大文字にて記載しています。なお、「長」の訳出については、Managerの語でもよいように思いますが、英米の会社で日本でいう部長クラスの役職は、Director(取締役ではありません。)と称することが多いので、ご参考までに。
また第3条2項において、「帰属」について、多くの答案で「belong to」が採用されていましたが、法律英語としては間違いではないものの、訳語調の印象を強く受けます。「vested in」や「be a property of」などとしてあげるとよりこなれた英訳になるかと思います。
さらに第3条3項において、「許諾条件」をconditionsとのみ訳出された答案が見られましたが、日本語でいう「条件」に相当する語としては、「terms」と「conditions」があります。Termsはいわゆる経済条件(許諾料の金額、許諾期間などの取引条件そのもの)に相当し、一方conditionsは民法上の停止条件・解除条件に相当するもの(これが成就したらこの契約がどうなるなどを定めるもの。例えば解除条項など)です。購入申入れの場面で、Conditionsのみを取り決めるのも違和感あるので、この条件はTermsと訳すかあるいはTerms and Conditionsとすべきところのように思います。
最後に、繰り返しではありますが、どの分野の翻訳でも和文和訳(字面追いは厳禁)を徹底すること、また法務分野では原文に対して「足さない、引かない」こと、細部までこだわることが質に大きな影響を与えます。残念ながら今回合格とならなかった受験者にも、上記した点などを参考にされ、ぜひ再度チャレンジしていただきたいと思います。
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1級/電気・電子工学
第28回 知的財産翻訳検定 1級/電気・電子工学 講評
【総論】
多くの答案は、総じて高いレベルにありましたが、結果として合格となった答案は少数でした。合格者の答案は、(1)日本語の意味を技術的に正確に把握し、且つ(2)把握された意味に対応する英語表現を選択することが出来ておりましたが、僅かに合格点に達しなかった答案は、そのどちらかが一部において出来ておりませんでした。オンライン辞書等の発達により、単語を調べることは容易になりましたが、文章全体の意味を正確に把握することは未だに容易ではなく、翻訳者が自らの読解力や調査能力に従って行う必要があります。その意味で、(1)の部分をしっかり行うことの重要性は、益々高まっているように思われます。
【各論】
問1は、文章構造は一見シンプルで、訳し易く感じられたかもしれませんが、一部に日本語の意味合いの把握が難しい部分がありました。1つは、請求項1の「実像を透視する」という文言です。この文言は、添付の図面からも明らかなように、何かを透過した先に実像を見る、というものです。しかし、いくつかの答案は、おそらく「実像」、「透視する」をそれぞれ辞書で調べ、「actual scene」「see through」の訳語を得て、これらを並べて「see through an actual scene」と訳出していました。この訳ですと、「実像を通過した先に何かを見る」という意味になってしまい、図面の内容とは全く違ってしまいます。クレームの誤訳は重大問題になりかねませんので、原文の意味が英語に反映されているかどうかを十分注意して訳出していただきたいと思います。単語1つ1つの対応がずれないようにすることも大事ですが、1つの文、又は文章全体として、原文の意味が反映されているかを十分検討することが大事だと思います。
問2は、原文の意味はそれほど難しいものではなく、全体的には出来は良かったと思います。若干表現が込み入っており、そのために僅かな訳漏れが散見されました。日本語と英語との言語構造の違いからして、一言一句漏らさずということを求めるものではありませんが、訳出して不自然とならない原文の用語は、できるだけ漏らさずに訳出するようにしたいところです。
問3は、AIのディープラーニングにおいて「重み付け」を演算するための手法に関するものでした。長文のため、前後関係を理解した上での訳出が必要とされる問題です。実際の業務の中でも、1つの明細書に含まれる多数のフレーズを意味的に整合が取れるように訳す必要があり、そのような力も今回の試験では問うています。
例えば、(A)〜(A’)の、「なかなか改善されない」の文言は、改善の速度が遅いという意味なのか、不可能という意味か、或いは改善の程度が十分でないという意味か、その文言を見ただけでは判然としませんが、前後関係を読めば、速度が遅いという意味であることは理解できると思います。文章の全体の意味を理解せずに進めてしまうと、間違えやすいと思います。(B)〜(B’)の「落とし込む」も訳出が難しかったようです。文全体や技術的な意味からして、この「落とし込む」は、積極的にその値に持っていくという意味ではなく、落ちることを避けたい意味がありますので、そのような意味合いの訳語を当てるべきでしょう。
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1級/機械工学
第28回 知的財産翻訳検定 1級/機械工学 講評
今回の特徴としては、問1と2に関しては致命的な誤訳をしている方が比較的少なく、全体的にレベルが高かった一方、問3が正しく処理できたかどうかで合否が大きく左右される結果となりました。逆に、問3は正しく処理できたものの、問1と2で細かいミスを重ねて合格ライン割ってしまった方もいました。大きな誤訳はもちろんですが、細かいミスをどれだけ減らせるかも重要ですので、減点のあるなしは別として、今回の翻訳のポイントになる箇所をいくつか挙げて解説したいと思います。
まず、問1の冒頭から、とんでもない、全く同じミスをされた方が複数いました。「たとえ表面が平滑な物体であっても」を、"even if the surface is a smooth object"と訳されたのです。最初は、何事だろう、と呆気にとられました。しかしよく見ると、「表面が」「平滑な」「物体」をそのまま翻訳しているのです。まるで機械翻訳の失敗例のようです。急いでオンラインの機械翻訳にかけてみると、やはりこの訳が出ました。
「表面が平滑な物体」は本来、「表面が平滑」である「物体」として翻訳しなければならないところ、「平滑な物体」である「表面」の意味になってしまっています。人間が自分の頭で考えて翻訳したならば、ありえない翻訳です。
本件とは別件ですが、こういう例もあります。
「照度センサが徐々に明るくなると感知する」という文を機械翻訳にかけると、"It is sensed that the illumination sensor gradually becomes brighter"のような訳がでます。人間の頭からは絶対に生まれない発想です。なぜなら、明るくなるのは照度センサそのものではなく、照度センサがセンシングしている対象であることは考えるまでもないことだからです。
そこで、一点目の総括です。翻訳者に対して機械翻訳を使うことは基本的に禁止できませんし、むしろ今後は翻訳者が使いこなすツールになっていくでしょう。しかし、機械翻訳独特の誤りや弱点を人間の翻訳者が修正し補ってこそ、初めて翻訳者の仕事をしていると言えるのです。機械翻訳のこのような弱点を見抜く自信がないのであれば、容易に使わないようが無難でしょう。
次は文のロジックの話です。「最近の交通用エネルギーの増加」とあるのは実はちょっと変ですね。正しくは、「最近の交通用エネルギー消費の増加」です。全体の1/3程度の方がこのように捕捉した翻訳をされたため、プラスに考慮しました。
減点の対象ではありませんが、「スペースシャトル」は実は固有名詞ですので、正しくは頭文字大文字で定冠詞を付します。引退する前は4機ありましたので、そのうちの不特定のいずれか一機を指すときにのみ不定冠詞が使えます。ちなみに、スペースシャトルのように地球の周りを回って帰ってくる乗り物の総称は、orbiterです。全てのorbiterがそうではありませんが。
解答例の翻訳をご覧になって、「速度」があえてvelocityではなくspeedsと訳されていることに疑問を感じた方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら、英語のvelocityとspeedの違いは、日本語の「速度」と「速さ」の違いと同じで、ベクトルがあるかないかの違いです。確かに厳密に物理の現場ではそうなのですが、現実にはほとんどのところではそのような使い分けをしていません。
例えば、サーキットを一周走って戻って来るレースカーがあるとします。その一周走って来た時の「平均速度」が時速200キロとか300キロとか発表されますが、これ自体、そもそもの定義からするとおかしいのです。というのは、速度にはベクトルが付いているので、どんなに速く走るレースカーでも、一周走って戻ってきた時点でベクトルが全て打ち消し合い、平均速度は必ずゼロなのです。にもかかわらず、誰も「平均速さ」とは言わず、「平均速度」と言います。
英語でも同じような不一致が随所にあります。そこで大切なのは何かというと、要点が伝わっているか、ということです。大気に再突入するスペースシャトルの進路には、確かにベクトルはありますが、ここではそれはどうでもいいことです。肝心なのは、摩擦熱、つまり機体の変位率により単位時間当たり、単位面積あたり、大気を構成する分子が何個、どれだけの勢いで衝突してどれだけの熱量を帯びるかです。そのような高速の状況を最も適切に表現するフレーズがspeeds of...やspeeds reaching...のような英文の常套句です。
もうひとつ多くの方がつまづいたのが、「あらゆる輸送用物体」の「あらゆる」です。意外に多くの方がこれをeveryやallと訳されたのですが、実はこの訳に問題があります。というのは、英語ではeveryは「例外なく」のニュアンスがかなり強くありますが、日本語の「あらゆる」のニュアンスは「例外なく」ではなく、「実に多種多様な」です。そうすると、all sorts ofやa wide variety ofの方が適切な訳語ということになります。
特許翻訳、特に米国出願を念頭に置いた翻訳では、これは注意しなければならない点です。従来技術の説明の中では実害はないでしょうが、クレームやサポート記述においては深刻な被害に至る可能性もあり得ます。一般論として、権利範囲を狭めるような翻訳をしてはならず、むしろ権利範囲を広げるような翻訳を模索するのが前提です。それに対して、always, never, every, mustのような断定的表現は、権利範囲を狭めることにつながってしまう危険があるのです。
さらにもうひとつ、多くの方がつまづいた点が、「期待され、」の訳です。…new ideas are expectedのような訳が目立ったのですが、これでは「予期される」になってしまいます。正しくは、there are (great) expectations forのような表現ですので、expectとhave expectationsが同一の意味でないことを覚えておきましょう。
「有害抗力」の誤訳も目立ちました。正解はparasitic drag (あるいはparasite drag)ですが、harmful dragやはharmful forceのような訳語が目立ちました。面白いことに、これが正しく訳せた方とそうでない方は、点数の高低に関係なく混在していました。オンラインで調べれば一発で行き着く表現のため、最終的には「調べたか調べなかったか」が、この単語に限って言えば、正否を左右したと言えるでしょう。
問2は、鋳型に関するものでした。以前のはた織り機の場合もそうでしたが、古代からある技術は用語や表現が独特で、そう言った意味で難しい側面もあります。鋳型の場合は、複数の型をもってしてひとつの型を成すなど、厄介なところもあります。なお、今回の問題は明細書の部分抽出の為、細部まで完全に把握することが難しく、そう言った点は考慮して採点しました。
内容は成形体を作る実施例です。様々な成形体を作り、それぞれの出来上がりを評価するものです。この場合は、基本的に過去形で表現するのが一般的ですが、クライアントの要求も種々多様であるのも事実です。和文原稿は現在形と過去形が混在した形で書かれています。そのため、「全て過去形」「全て現在形」「全て和文通り」のいずれでも良しとしました。ただ、これらのいずれにも当たらないものは、減点の対象としました。
「米国出願のために一部修正が必要」との指示に対して、どこをどう変えなければならないのだろうか、と必死に探された方も多かったようです。この原文は参照符号の振り方などにも問題があり、中には10箇所近くの問題点を指摘して下った方もいらっしゃいました。完全にも違っていない指摘は全てプラスに考慮しましたが、この問2で最も修正が必要な箇所は、優劣を表す「○△×」表記です。ほとんど全ての方がこの点をクリアし、「○△×」の代わりに優劣を示す表現ができた方は全て良しとしました。また、「○△×」は残したものの、「本来は変えなければならないが、それは後処理とするクライアントを想定してそのまま残した」とメモされた方もOKとしました。
そもそも、「○△×」方式が始まったのは、戦後のGHQ統治の下の日本で、世界どこに行っても、これが通用するのは日本だけであることを理解しておく必要があります。「○、△、×を優劣順に並べなさい」と言われれば日本人は誰でも簡単にできますが、一歩日本の外に出れば、これは「♪、※、$を優劣順に並べなさい」と言われるくらいに無意味なことです。この背景は誰かに教わる場合もあるかもしれませんが、基本的に英文の明細書をたくさん読み込んでいれば、少なくとも英語圏ではどのような表記が一般的であるか、わかるはずです。
問2ではもうひとつ、よくありがちなミスが見られました。「注入して、射出成形し、冷却して、」というのは、プロセス的に「注入することにより射出成形し、その後冷却して、」ですが、「注入して、その後射出成形し、冷却して、」と誤解された方が数名いました。日本語の「AしてBする」は、「Aした後にBする」という意味の場合と、「Aする、すなわちBする」という意味の場合と両方ありますので、中身を理解することが重要です。
問3は、ズームレンズ機構を対象とするクレーム翻訳です。本問題では、問題文中に「米国出願用ですので、各要素の階層構造を明確化してください。」との注記を入れました。特許事務所での勤務経験や経験豊富な特許翻訳者にとっては、当然の事項ですが、今回は諸事情を考慮して敢えて明確化しました。
答案は、階層構造の明確化ができているものと全くできていないものとに割とはっきりと分かれました。機械の階層構造を時間内に理解し、明確化して訳すためには、日頃から図面で構造を確認しつつ訳す実務を行っていないと難しいと思います。このような技術的な点は、合否判定の決定的要因となりました。
一方、法的観点、すなわちプリアンブル(Preamble)や遷移フレーズ(Transitional phrase)の処理等に多少の問題があっても許容し、適切に出来ていれば加点対象としました。特許翻訳者と弁理士の役割分担のグレーゾーンと考えられるからです。
全体的なレベルの高さは感じられましたが、「この程度できればいいや」というのは翻訳者にとっては一生あってはならないものです。今回試験で合格された方も、惜しくも合格を逃された方も、上記の各点が参考になればと願っています。
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1級/化 学
第28回 知的財産翻訳検定 1級/化 学 講評
【問1】
特許の出願書類は、特許性に関する審査対象であり、権利化後は権利書類としての性格を持ちます。法律文書は研究発表や論文とは異なり、善解してもらうことを期待してはいけません。単語の羅列だけでは争いの元になりますので、疑義の生じないきちんとした文章で翻訳してください。米国特許の争いで、特許発明の不明確性で悪意を認定された場合、百万円以上費やして取得した権利が全く使えなくなるどころか、競業者から損害賠償を請求される恐れもあります。クレーム部分は一語も抜かしてはならず、完成したら一単語ごとに確認するべきです。
今回は他のミスが多いので全員不問にしましたが、化学では上付き下付き表示の違いはとても重要です。きちんと書き分けて下さい。化学式のR1等の上付き1が下付きの1になっている解答がありましたが、下付きですと個数を表す数字なのか不明確になります。コントロールバーを押しながら+を押せば、指定部分を上付きに変換できます。「R1」や「R1」を一括してR1にしたいのなら、ワードの場合、上付きR1をコピペし、検索する文字列欄にコピーし、置換後の文字列へカーソルを移動させ、オプションの「あいまい検索」チェックを外し、特殊文字の「クリップボードの内容」(^c)をクリックした後に一括変換します。
化合物の一般式における置換基の定義をどう的確に翻訳するかがポイントでした。
(1)化合物を表した化学式におけるさまざまな置換基の定義の翻訳に苦労されておられる受験者が多くおられました。置換基R1〜R6の定義において、日本文では「各々独立的に」とあります。これは置換基R1〜R6の各々が複数であることを意味しています。各置換基を複数で表し、「各々独立的に」と整合させる必要があります。特許関連文書では矛盾がなく整合性の取れていることが必要です。例えば、”R1s each independently represent”、”R1s are each independently”とします。この点をうまく翻訳できた受験者は数名しかおられませんでした。高分子化合物、医薬に使用される化合物の翻訳に頻繁にでてきますので、この機会にものにされることをおすすめします。
(2)問1では「R5は各々独立にハロゲン原子、酸素原子を間に挟んでもよい炭素数1〜20のアルコキシ基」を、意図する内容を踏まえて的確に翻訳することももう一つの大きなポイントでした。ここでは、翻訳に際して2つのポイントがあります。一つは、「ハロゲン原子」と「アルコキシ基」との関係です。「ハロゲン原子または酸素原子を間に挟んでもよい」の意味に捉えた受験者もおられましたが、日本文の意味は、「ハロゲン原子であるか、またはアルコキシ基」です。もう一つのポイントは、「酸素原子を間に挟んでもよい」の訳し方です。ここの部分の意図は、「アルコキシ基における炭素鎖に酸素原子が存在している」ことです。一例をあげると、CH3CH2CH2CH2OCH2CH2OHです。参考訳で確認をされることをおすすめします。
(3)「(メタ)アクリル基」:”a (meth)acryl group”とされた方が多くおられましたが、「(メタ)アクリル基」は、「アクリル基またはメタアクリル基」を表しており、”an acryl group or a methacryl group”のことです。冠詞は”acryl”にかかり、”an (meth)acryl group”となります。
(4)「挟んでもよい」、「置換基を有してもよい」などの「よい」は、勿論”may“を用いてもよいのですが、”optionally“を使用できます。従って、英文和訳で、”optionally having“は、「有していてもよい」と訳することができます。ご活用ください。
(5)今回の採点では考慮しませんでしたが、次のステップとして以下の点を考慮されるといいかと思います:例えば、「R1は各々独立に炭素数1〜10のアルキル基又は炭素数6〜10のアリール基」は、“R1s each independently represent a C1-10 alkyl group or a C6-10 aryl group”とせずに、“R1s each independently represent C1-10 alkyl or C6-10 aryl”で十分に意をつくしながら簡潔に表すことができます。「エポキシ基含有環状オルガノシロキサン」についても、“An epoxy-containing cyclic organosiloxane”とすることもできます。よくでてくる例では、「水酸基含有アルキルアクリレート」がありますね。これも、“hydroxyl-containing alkyl acrylate”と簡潔に表すことができます。
(6)「R6は各々独立に水素原子又はハロゲン原子、ビニル基、チイラン基、(メタ)アクリル基、メルカプト基、イソ(チオ)シアネート基、無水コハク酸基、パーフルオロアルキル基、ポリエーテル基及びパーフルオロポリエーテル基から選ばれる置換基を有してもよい炭素数1〜14のアルキル基」を翻訳する場合、全てに”group”をつけるのではなく、“R6s each independently represent a hydrogen atom or C1-14 alkyl optionally containing a substituent selected from halogen atoms and vinyl, thiirane, (meth)acryl, mercapto, iso(thio)cyanate, succinic anhydride, perfluoroalkyl, polyether, and perfluoropolyether groups”とすることができます。参考にしていただけたらと思います。
(7)日本文では化合物の説明を、「(式中・・)」のように文末のカッコ書きで書くことが多いですが、翻訳文でも、そのまま“(wherein ….)”カッコ書きにされた方が少なからずおられましたが、英文では“wherein …”とすることが多いです。
【問2】
特許関係での常識ですが、項目「従来技術」の訳を、この項目自体が公知の技術と自認することにならないように気を付けているかどうかを確認しました。
冠詞の使い方は永遠の課題ですし、加算、不加算も人によってブレがありますが、chemical composition、melting pointなど化学の世界で複数存在して特定も限定もされていないものは、初出なのにいきなりtheを使うのは避けましょう。
問2の著者は、非特許文献1の「豚の脂肪」と、非特許文献2の「豚肉の脂肪」を最初は区別していました。非特許文献1の「豚の脂肪」は、豚の脂肪「組織」です。おおまかな指標にしかなりませんがネット検索してみるとpork fat 854,000件pig fat 393,000件swine fat10,100件ですので、「豚の脂肪」にはpork fatを採用するのが順当です。一方、非特許文献2は、ボーマー指数を用いる方法で、「豚脂」(lard)から析出した飽和トリアシルグリセリンとその脂肪酸との融点差を、規定条件で測定するものです。「豚脂」とは、「豚の脂肪組織」をレンダリング法によって溶出、ろ過したものです。問題文に「融点」という言葉が入っているので非特許文献2の「豚肉の脂肪」はlardの方が適当でしょう。
著者は文言にあまり注意を払わない人らしいので、後出「『豚の脂肪』の融点に関連したボーマー数を用いる方法」とありますが、「『豚肉の脂肪』の融点に関連したボーマー数を用いる方法」のつもりで書いたと思われます。なので、二回出てくるボーマー数を用いる方法の記載ではlardで統一し、コメントを付けた方がクライアントに喜ばれます。
最後の「豚の検出」は、「豚の脂肪の検出」ではなく、段落0002で明らかなように「豚肉の検出」が真意です。detect pig (swineその他)ではなくdetect pork としてください。
なお、基本ですが、ボーマー数をそのままBoma numberとするのは翻訳者として失格です。自分で調べて正確なアルファベットで表記しましょう。
「豚肉の検出方法」に関する技術です。
(1)日本文自体に整合性がないと思われる個所もあり、翻訳文での内容の整合性がポイントのようでした。例えば、「豚の検出方法」→「豚肉の検出方法」。「原料として適切に表示」→「原料の適切な表示」。日本文を文字通り翻訳するのではなく、技術内容の理解が最優先ですね。その意味では、翻訳力が試される課題でした。
(2)「食品を求める人が世界中に多く存在する」における「求める」に、”require”を使用した受験者も少なからずおられましたが、ここでの「求める」は”require”ほどの強い意味ではなく、”desire”あるいは”need”ぐらいかと思われます。
【問3】
「電極材料の製造方法」に関する技術です。特に難しい技術内容ではなく、そのまま翻訳すればいい課題でした。しかしながら、いくつかのポイントでひっかかった受験者が多くおられました。
(1)「酸化物は、結晶、非結晶、またはアモルファスのうちのいずれであってもよい」で、「いずれ」に“either”を用いた受験者が少なからずおられました。“either”は、「二者のうちの一方の」に使用されます。課題では、「結晶、非結晶、またはアモルファス」と三者がありますので”either”を使用しません。課題の場合、“The oxide may be crystalline, non-crystalline, or amorphous”で大丈夫です。
(2)“The oxide may be crystalline or non-crystalline (amorphous)”のように翻訳された受験者もおられましたが、日本語から離れております。「アモルファス」とされるものには結晶構造を完全にもたないものと、光学的には結晶構造が見られない場合でもX線解析では弱い回析を示す潜晶質とがあり、「アモルファス=非結晶」ととらえられない面がありますので、日本文の表現とされたものと理解されます。注意が必要です。
(3)「炭化水素系ガスが酸化物粒子の隅々にまで行き渡り」を、“the hydrocarbon-based gas reaches every oxide particles”、“it is thus possible to allow a hydrocarbon gas to reach every corner of oxide particles”などとされた受験者もおられます。日本文の意図は、「炭化水素系ガスが酸化物粒子の表面をおおいつくす」ことです。これを表現できた受験者はすくなかったです。参考訳をごらんいただきご検討ください。
【問4】
簡単な試験ですが、試験サンプルをどのように調製して、どのような手順で試験しているか頭の中でイメージして、適切な用語で訳すことができるかを確認しました。
機械の製造会社をHochland Natec GmbHまで調べていらっしゃる解答は、採点者としては非常に好印象でした。しかしクライアントや発明者によっては嫌がる人もいますし、別の会社の可能性もあり得ますので、コメントを付ける方がよろしいと思います。
試験対象の積層体は、0004の文言「当該フィルム」から、フィルム状積層体、つまりラミネートフィルムです。なので、この場合、積層にstackは違和感がありました。同様に、ラミネートフィルムの接合部に関しては、積層体「内部の」層間に良く用いられるinterlamellarに違和感がありした。
0004に記載されていますが「包装」は、端を封止した円筒形ラミネートフィルムの内部空間に、溶融したプロセスチーズを注入してからロールで押圧して扁平な形状としています。なので、包装材はチーズをwrapするのではなく物をpackageしています。この場合、回転数は単位時間当たりの回転数なのでrotational frequency やrotation speedで良いです。
評価は、引っ張り試験をし、引っ張って剥離した積層体を外観も評価します。なので外観評価試験はテスト後に行われるのではなく「テストの一部として」行われます。剥離に関してflaked、detachなどを使用する例がみられましたが、問題文中の手がかりを利用し、JIS K6854 Englishで検索すればDetermination of peel strength of bonded assembliesなどがヒットしますので、この分野の専門用語peelを選ぶことができます。
食品や医薬品等を包装する包装材およびその製造方法に関する技術です。
(1)「充填試験」→積層体をサイドシールして作製した包装材にチーズの溶融物を注入して包装体としたものについての試験です。ここでは、「包装材にチーズの溶融物を注入」しておりますので、「充填」は“filling”です。また「包装」は、”packaging”でいいと思います。「AをBに充填する」は、”filling A in (into) B”あるいは“filling B with A”で表せます。バリエーションとして把握しておきましょう。
(2)「剥離形態」は「peeling form」あるいは「peel form」。「・・・の2条件で」は、“with two conditions”よりは、“under two conditions”の方がベターかと思います。
(3)「表中のシール強度の単位は、N/15mmである」は、”the unit of sealing strength in the table is N/15mm”でも勿論いいですが、”the sealing strength in the table is in N/15mm”とシンプルに表すことができます。また、”the sealing strength is expressed in N/15mm”とも表すことができます。バリエーションとして把握しておきましょう。
全体として、技術内容の把握は最優先で、その内容を英語で表現していく考えかたでいくのがいいかと思います。これができた受験者が少なかったように思われます。参考訳や講評を参考にしていただけましたら幸いです。
最後に熱心に全力を尽くして課題に取り組まれた全ての受験者に大きな拍手で讃えさせていただきます。次回、さらにステップアップして検定に挑戦され、その解答を拝見するのを楽しみにしています。
問題(化学)PDF形式
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1級/バイオテクノロジー
第28回 知的財産翻訳検定 1級/バイオテクノロジー 講評
全体に、極端に難度の高い問題ではなく、全員が間違った箇所はありませんでしたが、それでも、細かいミスの量が、合否を分けたように思われます。丁寧に考えて訳された方が合格になりました。
【問1】
バイオ分野ではよく見られる「発生」や「ショウジョウバエ」といった単語を正確に訳せていない答案が多かったです。また、原文の2段落目の「遺伝子組換え」、「トランスジェニック」は言葉が不足しており、これを上手く補えたか否かで点数が分かれました。
【問2】
「破砕物」の訳がばらついていましたが、「細胞」などで限定しない限り、減点していません。「このようにして純度を高めた画分」は、正確にニュアンスが表れているかどうか、がポイントになります。単に「純度が高い」では、翻訳したことになりません。
【問3】
淡々と訳せば良いサービス問題でしたが、細かいミスが多く見られました。第1文は、エストロゲンを「投与した」場合の影響を見るものですが、訳に「投与」が反映されていないと、フグの内在性のエストロジェンの研究となってしまいます。この出題はある特許明細書の実施例部分からですが、実施例全体が何をどう実験しているのか、理解して訳す必要があります。
【問4】
「採取された水晶体のDNA、または、非ヒト生物の水晶体のDNA」の部分は、正確に理解して訳出する必要があります。また、DNA of a collected lens or DNA of a lens of a non-human organismと前から訳しても減点にはしていませんが、of a non-human organismがどこまでかかるかが不明瞭になるので、DNA of a lens of a non-human organism or DNA of a collected lens と順序を逆にする方が好ましいです。
請求項3で、「上記損傷工程は・・・損傷を与える工程であり、」の部分は、「上記損傷工程において、・・・損傷が与えられる」と訳すほうが、請求項1の「損傷を与える」の説明になっていることが明確になります。
請求項をきれいに訳すには、自分で一から請求項を作成する訓練をするのがとてもよい勉強になると思います。
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