1級/知財法務実務
第31回 知的財産翻訳検定 1級/知財法務実務 講評
【問1】
1 出題について
アメリカ特許出願のための特許翻訳は依然として大きな需要がありますから、アメリカでの権利化段階に関わるトピックは翻訳実務にも資すると考えて本問出題としました。具体的には、アメリカ特許商標庁(USPTO)の特許審判部(Patent Trial and Appeal Board, PTAB)において、審査官の新規性・非自明性の規定に基づく拒絶の決定が覆された事案です。アメリカ特許出願は、出願後、審査官による審査がなされ、拒絶理由がなければ許可されて特許となる一方、審査段階での拒絶理由を解消することができない場合は最後の拒絶理由(Office Action made final)が通知されます。最後の拒絶理由に対しては、継続審査請求(Request for Continued Examination, RCE)を行ってクレーム補正等を併用しながら拒絶理由の解消を模索するルートとともに、PTABに審判請求を行って審査官の拒絶の判断が適正であるかを審判官にレビューしてもらうルートがあります。本問は、後者のPTABによる審査官判断のレビューについての決定を取り上げています。
本問で取り上げたPTABでの審理では、”configured to”という語句の解釈が問題となりました。クレームの記載で、”a device configured to perform a certain function”といったようにある機能を有する要素の構成を表現することは、主にアメリカ特許法112条f項(いわゆるmeans plus function 形式で記載された要素が明細書中の対応実施例相当の構成に限定解釈されるとの規定)の適用を避ける等の意図でよく行われます。本問の事例では、審査官が”configured to”の語句をなんらかの機能を実現することが可能であることを意味すると解して引用文献に基づき新規性・非自明性が否定されると判断しました。PTABの審理においては、審査におけるクレーム解釈は最も広義の合理的解釈(Broadest Reasonable Interpretation, BRI)基準の下、用語はその普通の意味(plain meaning)により解釈すべきであり、”configure”の辞書的定義や関連判例に基づいて審査での拒絶理由は成り立たないとの決定をしています。
2 採点を終えて
受検者全体として概ね文意は捉えておられましたが、特許的な語句や表現について適切に訳出するのに苦心されており、結果として残念ながら合格レベルに至らないこととなりました。出題者も参考解答作成時、通り一遍に訳出することはできるものの、日本語として完成度を高めようとすると意外に引っかかるところが多く、一見したよりは難度が高かったかも知れないと感じました。(参考解答自体がどれほど洗練されたものとなっているか冷や汗ものという気もしますがそれについては諸子に委ねたいと思います)
具体的には、例えば次のような箇所があげられます。
・第2パートの”anticipate”は辞書的には「予期する」といった訳語があがっていますが、例えばMPEPには”A claimed invention may be rejected under 35 U.S.C. 102 when the invention is anticipated (or is "not novel") over a disclosure that is available as prior art.“と解説があり、一の文献に基づいて新規性が否定されることを意味しますので、翻訳においてもそのような特許的な訳語を採用するのがよいでしょう。
・同じく第2パートの”pre-issuance”も意味をとるのに苦心されていた箇所ですが、ここでは(特許出願は許可(allow)されて発行料を納付することにより発行(issue)されますが、その)特許発行前であることを意味します。
3 最後に
あらためて申し上げることでもありませんが、特許翻訳を行う上で、言語の運用能力が求められるのは当然ですが、ターゲットとなる国や地域での法令規則、審査基準、判例等の知財情報をインプットしておくことは同じく重要です。日頃から様々な情報媒体を通じて知財情報を仕入れておくことを心がけていただけば、特許翻訳力も向上すること疑いありません。今後も「受検することがなんらかの知識習得につながるような出題」をしていきたいと思いますので、引き続き挑戦していただければ幸いと思います。
【問2】
「知財法務実務」の翻訳に携わる方とは、特許事務所・法律事務所、企業内知財部・法務部等のそれぞれの立場において、いわゆる特許明細書翻訳以外の翻訳ニーズを満たすことを期待されている人材との想定の下、「知財」の名の示すとおり特許以外の分野にも「法務」の名の示すとおり権利活用・行使の場面にも対応することのできるジェネラリストとして、かつ法律関連文書を取り扱うことのできるスペシャリストとしての力量を試すことを目的としています。
上記に鑑みて、本問では、ジェネラリストとして「あまり知識のない分野の題材であっても、想像力を駆使して設定背景を咀嚼することのできる力」、またスペシャリストとして「文書の細部にまでこだわることのできる力」を見ることに主眼を置いています。したがって、従来から繰り返し強調しているとおり、今回の場合であれば、共同研究開発などの知識は何ら要求しておらず(これらはあれば加点要素です。)、「原文咀嚼」と「細部までの正確性」とをどこまで追求できているかを判断基準としています。
各小問共通の点として、
・いわゆる「知的財産」と称されるもの(発明、考案、意匠、商標、著作物、営業秘密、ノウハウなど)については、知財翻訳に携わる以上、一般的に英語及び日本語でどのように称されているのか把握しておくようにしましょう。各答案を拝見していると、考案(device)や著作物(work of authorship)、営業秘密(trade secret)に対して違和感のある訳語を当てているものが見受けられました。
・「conceive」について、一般的には「着想」と訳出されることが多いかと思います。「考案」や「創出」、「想到」などの訳語が答案からは見られました(いずれも減点対象にはしておりません)が、プロとしてやや違和感を感じられる場合がありますので、注意しましょう。
各小問個別の点として、
(第a条)
・定義語「Intellectual Property」の訳し方:本問では、「Intellectual Property」を定義語としており、小文字の「intellectual property」とは基本的に区別する姿勢であることを読み取る必要があります。よって、小文字の「intellectual property」を「知的財産」と訳出するのであれば、定義語たる「Intellectual Property」は、小文字のものと区別可能な命名をする必要があります。特に、定義語たる「Intellectual Property」には、小文字の「intellectual property」には通常含まれる「商標」が脱落していますので(つまり定義語「Intellectual Property」には商標は含まれない)、その点留意が必要です。ただし、本問では小文字の「intellectual property」が登場せず、混同を招くおそれがないこと、また混同を招くおそれがない場合には定義語であっても定義語らしい調整をすることなくそのまま訳出する慣行も存在することから、今回定義語「Intellectual Property」を「知的財産」と訳出した答案についても減点はしていません。
なお、定義語「Intellectual Property」を、「知的財産等」と訳出していた答案がございましたが、「等」というのは、概して「本来知的財産とは取り扱われないものを、便宜的に知的財産に含まれるかの如く扱う」ことを意味するものです。本問で定義語「Intellectual Property」に掲げられるものは全て、本来知的財産として扱われているものなので、「等」という定義語にすることには大いに違和感があります(減点はしていません。)。
・「those equivalent in any territory outside of Japan」:この句を「日本国以外の領土にあるときはそれらに相当するもの」と訳出した答案が見られました。「日本国以外の領土にあるときは」というのは条件を示しており、日本国以外の領土にないときには知的財産に含まれないとも読めるものであり、不適切です。知的財産は着想とともに、日本国内のみならず外国においても権利が発生するように考えられています。勝手に「外国にあること」を条件にしてしまうと、本来存在する外国における権利が契約上は喪失されてしまうことにもなりかねないので、よく吟味することが必要です。
(第b条)
・「secretary office」:一部の答案で「事務室」という訳出が見られました(減点はしていません。)が、「事務局」というのは一般的に様々な文脈でよく聞く言葉ですし、文脈を咀嚼すれば到達できる訳語かと思います。字面追いではなく、「日本語ではこういう時になんと言うかな?」を意識することが肝要です。
・「dated and signed」:自然な日本語に落とし込むことに苦労する語ですが、言わんとすることは、「日付を書いて署名する」ことです。どのように自然な日本語にするかは、参考訳等もご参考の上、ご自身の定訳を模索ください。
(第c条)
・全体英文構造:法律・契約英語に特有の挿入句が多用される問題文であったため、全体英文構造をとらえるのに苦労したとおぼしき答案が多数見られました。大きな英文構造としては、If~in relation to such researcherまでが条件節となっており、主節がsuch Intellectual Property shall be~となっています。また、条件節においては、(1)any researcher of ABC or XYZ conceives any Intellectual Property as the result of the Joint Research but without access to any information disclosed by the other party or any researcher thereof の要件と、(2)ABC or XYZ as applicable is vested with, or succeeds to, all titles, rights and interests in and to such Intellectual Property in relation to such researcher の要件との2つの要件を要求する内容となっているため、これらをつなぐ「and」は「かつ」と訳出する必要があります。要件(2)中の「vested with, or succeeds to,」とは、「all titles, rights and interests」の譲渡を受ける(vested with)ことと承継を受けること(succeeds to)が並列に書かれているもので、いずれもその主語は、「ABC or XYZ as applicable」です。詳しくは参考訳をご参照ください。
・「as applicable」:訳出に苦労されたとおぼしき答案が見受けられましたが、言わんとすることは、「ABC又はXYZのうちいずれか適切な方」という意味です。要件(1)において「ABC又はXYZの研究者が」となっていますので、要件(2)で譲渡や承継を受けるのは、ABC又はXYZのうち当該研究者が所属する方となるのが自然な流れです。この「as applicable」がないと、ABC又はXYZのうち譲渡等を受けていない方まで主節の範囲に入ってくるため、こういう不自然な流れを阻止するために「as applicable」が入っています。英文契約では非常によく見る表現ですので、これを機会に押さえられるとよいかと思います。
・「contested as evidenced」:こちらも法律英語ではよく見る表現ですが、言わんとするところは、「単に争う(contest)のではなく、証拠(evidence)を以て争え」というところです。争うことは、何も根拠がなくとも相手に「違う」とさえ言えば「争い」になりますが、この契約では単に異議を申し立てるだけでは争いとは認めない趣旨が示されています。
最後に、繰り返しではありますが、どの分野の翻訳でも和文和訳(字面追いは厳禁)を徹底すること、また法務分野では原文に対して「足さない、引かない」こと、細部までこだわることが質に大きな影響を与えます。残念ながら今回合格とならなかった受験者にも、上記した点などを参考にされ、ぜひ再度チャレンジしていただきたいと思います。
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1級/電気・電子工学
第31回 知的財産翻訳検定 1級/電気・電子工学 講評
【総論】
多くの答案は全体的に高いレベルにあり、よく勉強されているという印象を受けるものでした。ただし、一部において読解を読み誤ったことで、減点が積み重なり、合格基準に達しなかった答案も多く、結果として合格となった答案は少数でした。
正確な訳出のためには、まずは英文を正確に読解する能力が必要であることは言うまでもありません。英文の読解のためには、英文法の基本的な知識は勿論ですが、正確で豊富な技術知識も必要です。その技術分野に合った訳語や表現を選ぶ必要があります。
また、文章の前後関係を把握して訳出をすることも重要です。前後関係を把握できずに誤訳になったと思われる答案も散見されました。字面を追うだけでなく、出来上がった訳文を見て、前後の文章で論旨が合っているかを確かめ、違和感があればそこは誤訳であるものと察知し、見直すことが大事です。
【各論】
問1は、DCモータに関する問題でしたが、分詞構文が多く、その点で修飾関係の読解が難しい部分があったものと思います。特に、2行目の「a base of the stator defining...」の部分で、「ベースを有するステータ」と訳してしまっている答案が多かったですが、「有する」と訳してしまうのは文章構造上正しくありません。技術用語として、full step, fractional stepなどに関し、技術内容と合わない訳語を使っていた答案も見られました。できるだけ、一般に使用されている表現を探し出して、訳語とするようにしましょう。なお、claim1が長かったせいか、同じ単語を異なる訳語で訳出してしまっていると答案も散見されました。訳語は統一するようにしましょう。
問2は、ストレージデバイスの誤り訂正技術と、コンテンツ配信技術に関する問題でした。文脈を読み取るのが難しい問題であったと思います。こうした分野に不慣れだと、なかなか正解の訳文に辿り着きにくかったかもしれません。各種単語に関しても、ストレージデバイスに合った訳語を当てることが求められます。前半のretrievalは、「検索」と訳した答案が幾つかありましたが、正しいとは言えません。storageとの関係から「読出し」か「取り出し」が正解です。
問3は内容が簡単であったのか、問1及び問2と比較すると皆さん良く翻訳されていたと思います。問題文は、グラフェンシート上にポリマー層を形成してトップゲート型のグラフェンFETを製造する技術に関する内容で、平均11.8ワード/文と比較的短く平易な文章でした。技術的な専門用語も基本的には正しいものを使っておられ、係り受けの誤りもほとんどなかったです。詳細について少しだけ触れたいと思います。
前段部分:原文の“the graphene 102”に対して参考解答では「グラフェン層102」といたしました。“graphene(グラフェン)”とは、炭素原子とその結合からなる六角形格子構造を有する原子1個分の厚さのシートのことです。したがいまして、皆さん原文通り「グラフェン102」と訳されており全く問題ないと思います。一方で、参考として前掲した個所に“a grpahene layer 102”とあることから「グラフェン層102」とした次第です。
後段部分:最後の部分で時間が足りなかったのか、数値の入力間違いや、記号の文字化けが散見されました。問題文には「μ」及び「-」が出てきました。出願用特許明細書の和訳は基本的に全角文字で入力します。したがいまして、「μ」は「まいくろ」と全角入力して変換し、「-」は「まいなす」と全角入力して変換します。英数文字の半角入力は減点対象とはなりませんが、文字化けは減点対象といたしました。実務の観点から申し上げると、文字化けはお客様の印象を悪くしますのでできるかぎり回避したいところです。
原文に誤記と思われる個所(the 360th cycle 122:正しくは128)がございました。何名かの方は誤記を発見し、指摘くださいました。また、原文の通りに訳出されていたのも良かったと思います。
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1級/機械工学
第31回 知的財産翻訳検定 1級/機械工学 講評
今回の試験は、用語選定が正確にできたか否かで結果が別れました。中には、全体的によく翻訳できていたものの用語等のミスが嵩み、合格ラインを割ってしまった方もいれば、訳抜けのような大き目のミスをしながらもそれ以外ではうまくまとめて合格ラインに達した方もいました。
問1は、鉄道システムの安全性に関するものですが、一部の欧米の明細書等に時折見受けられる、needlessly wordy(過度にくどい)な文が含まれています。それをどのように処理すればよいのかのヒントは、問の指示文、「英文の冗長なスタイルや細かい表現にとらわれず、技術的なポイントが明確になる翻訳を心がけてください。」にあります。毎年のことながら、このような指示がるのにもかかわらずミラートランスレーションのように翻訳しようとする方の割合の大きさに驚かされます。
交通手段の foot は、「徒歩」になるのは当然で、大半の方がこれを正しく翻訳していましたが、やはり、「足」と訳された方もいました。また、collision safety for passengers を「乗客衝突安全性」としたのでは、幾通りにも解釈でき、「乗客が安全にお互いに衝突できるようにする」曲解までできてしまいます。さらに、no crashproof anchoring of seats to framesの crashproof が seats や frames にかかっているような翻訳も多く見受けられましたが、かかっている先は anchoring です。また、measures in place を「策が講じられている」ではなく「場所」に関する訳や、「ところによって」とされた方も目立ちました。
翻訳者の仕事は、意訳をしてもしなくても、「内容」を正確に伝えることです。近い未来には、翻訳者がAIを使って下訳をし、その後にポストエディットをかけることが当たり前の時代が来るかもしれません。AI は大幅な時間短縮をもたらすでしょうが、このような「内容の把握と伝達」、言葉のプロでない不完全な人間が書いた文の意味を他の人間が汲み取る「以心伝心」はAIが最も苦手とする分野です。それこそが翻訳者の仕事の核心ではないでしょうか。
問2は、銃身の構造に関するものです。原文には多岐に解釈できそうなところもあり、ひょっとすると権利範囲を広くカバーしたいのだろうか、と思わされるところもあります。それを、「これはこうだ」と決めつけて範囲を狭めるような翻訳は問題です。特に今回は、クレームの内容を実施形態の中にコピーしてアレンジしたような書き方になっています。これを勝手に範囲が変わるような訳とした場合、権利範囲にも影響が及ぶ危険性さえあります。
用語の中で barrel を「バレル」とされた方も何名もいました。日本でも拳銃の銃身を「バレル」と言わなくもないので、減点にはしていませんが、barrel は拳銃であれば「銃身」、カメラや望遠鏡であれば「鏡筒」、エンジンのキャブレターであれば場合によっては「ベンチュリ」と訳すのが適切でしょう。
この問2は予想以上に少ないミスで訳せた方が多かったのですが、ほとんどの方がミスをした箇所がありました。段落0103の後半の inclusion という言葉です。この下りは、"the inclusion, size, number, and position of the apertures 130 is optional" で、「開孔130の inclusion も、大きさも、数も、位置も、任意ですよ」というものです。にもかかわらず、inclusion を「介在物」のように訳された方が何名もいました。「包含」と訳された方は、かろうじて減点していませんが、正しくは「有無」です。逆に、和文英訳において「有無」を無理やり presence or absence のように二択として書き出すような翻訳を見かけますが、そう強引に翻訳しなくても十分通じる面が英語にもあります。その参考にもしていただければと思います。
問3は、振動水柱型空気タービン方式の波力発電装置に関する発明を対象とするクレーム翻訳です。本発明のクレームは、海洋の波動のエネルギーが有用なエネルギー(たとえば電力)に変換される各過程の整合性が重要となります。エネルギーの変換として、ある方向に進んでいく進行波としての海洋の波動は、圧力チャンバ内に維持され、上下に海面が移動するの垂直波動(normal wave motion)としての定在波(standing wave)に変換されます。定在波は、うねり波(surging wave)となります。
ここで、「surging wave」の訳は、非常に難しかったと思います。サージ電圧(電圧の急上昇)のイメージが強いからです。答案では、「上昇波」や「寄せ波」といった訳が主流となりました。サージ電圧(電圧の急上昇)をイメージして「上昇波」や「寄せ波」と暫定的に訳語を設定するのは、実務上も問題ないと思います。
しかしながら、「pneumatic suction and compression pressure of the air resulting from the wave surge」(参考訳:前記うねり波から生じる前記空気の吸引と圧縮の圧力)では、「surging wave」の訳は、「上昇」や「寄せ」といった一方方向の動作では整合性がなく、双方向の動作として表現する必要があります。すなわち、「surging wave」の訳として「下降」や「引き」の意味を包含する訳語の候補を探す必要があります。
このような場面では、逆に日本語を介することなく英英辞典で言語の意味に立ち返って確認することが近道です。「surge」は、たとえばオンラインのMerriam-Websterでは、「意味:to rise and fall actively:例文:a ship surging in heavy seas」とあります(2020年12月15日時点)。
したがいまして、船を上下させるような波の大きな動きをイメージして、「surging wave」の訳は、たとえば「うねり波」と訳すことができます。
機械系の英日特許翻訳では、安易に日本語の範囲内で機能や構造を考えるのではなく、原文として英語の世界で必要に応じて英英辞典を参照しつつイメージし、日本語で正確に再現する必要があります。機械翻訳には便利な用途もありますが、安易に日本語だけで思考する癖を付けてしまうこともあるようですので、そのような弊害に気をつける必要があります。
翻訳者にとって、原文原稿が不完全で不明瞭な状況は今後も変わらないでしょう。変わったら、AIに仕事を取られてしまうのですが。言葉のプロでない技術者が原文を書くのはもちろんのこと、企業内においてその後の編集をする余裕もなくなってきています。グローバルな競争によるコスト削減の圧力に加え、コロナ禍においてさらなる経費削減が求められていく中で、生身の人間が書いた原稿の内容を生身の翻訳者が伝えていく仕事はさらに重要性が高まっていくのではないでしょうか。
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1級/化 学
第31回 知的財産翻訳検定 1級/化 学 講評
採点について:
今回は化学部門での1級合格者はいらっしゃいませんでした。本当に残念です。現在、翻訳者の最大の競争相手は、ネットで簡単に直ぐに利用できる機械翻訳です。しかし、特許翻訳は、新規性、進歩性のある技術にかかるものですので、従来データに基づく機械翻訳では全てを正確に訳すことはできません。そして、権利化された後は権利を主張する根拠となる出願書類は正確に翻訳することを求められます。つまり、特許書類の翻訳こそ、最終的に必ず人の手が必要なのです。しかし、今回の答案では、技術や英語の理解力、適切な日本語の選択が不充分な答案が目立ちました。「機械翻訳に対して翻訳者が勝っている点は、技術を理解して、発明者が何を表現したかったかイメージし、適切な日本語でそれを正確に表現できることです。」内容を理解しないまま翻訳すると、機械翻訳と同じ間違いをします。そのような翻訳者に依頼する人がいるでしょうか?また、特許翻訳には、疑義のない明確な表現が求められます。日本語としてちょっと変だったり不明瞭だったとしても、この英単語にはこのような意味もあるから「善意で解釈してほしい」は許されません。翻訳文の記載が問題になるのは、日本だけでなく、世界のどこかでその特許発明に関連する侵害の争いが起こったときであり、相手方は当然、悪意に解釈した主張をしてくるからです。なので、特許翻訳者として仕事をする人は、人間の優位性を最大限に生かせる翻訳をするように心がけて頂きたいし、そのような解答を期待しています。翻訳はリモート勤務に適している仕事の一つです。現在、全世界的にウイルス対策のための研究予算がつぎ込まれていますから、ウイルスに関係する技術がどんどん開発されており、バイオだけでなく化学関係の知財も先行きが少し明るくなっているようです。受験者の方々におかれましてはぜひ研鑽を積んで、今回の雪辱を図ってください。
技術用語について:特許技術は、現在最先端のはずですから、翻訳者は詳しく知らないのは当然です。知らない技術を翻訳するのですから、調査等して技術を理解するのは翻訳前のつとめです。特に、化学分野は範囲が広いため、知らなかった技術を調査し、理解して、当分野で使用されている用語を誤解を招かないように適切に使用する必要があります。疑問に思ったり、知らなかった用語、技術、操作などをこまめに検索して理解する癖をつけてください。記載されている英語は平易でも、日本語では専門用語があるのではないか?訳した日本語に他の意味はないのか?を確認する癖を付けましょう。最初はどんな表現に気を付ければよいのかわからないかもしれませんが、経験を積むと勘が働くようになります。
機械翻訳の利用について:機械翻訳はそれらしい訳文を出してくれますが、主語と述語が一致しない、同じ英語が複数個所にあると別の日本語が当てられていることがある、訳抜け、重複がある、修飾部分の係り具合が不適切、技術分野に適切でない訳語を利用している、語尾が一貫しない(です、ます、である)、原文誤記や新しい言葉でも似たような英語としてそれらしく訳してしまう、など数多くの問題があります。機械翻訳を見てしまうと、引きずられて良い翻訳が作れない、と嫌う方もいらっしゃいますが、ある程度翻訳の基礎ができている人なら、「参考資料として」利用することは時間の節約になります。特に化学分野では知らない専門用語が多いため、上記のように検索確認したうえで、複数の候補から適切な訳語を選択して時間を節約する必要があります。ただ、機械翻訳では、驚くほど専門用語を使いこなした表現が出てくることもありますが、驚くほど見当はずれな訳語が使われて意味不明の時もあります。英語をカタカナに置き換えるだけ、のときはコピペして文字を確認すればいいので、タイプする手間が省けます。なので、機械翻訳を「補助として」利用することは悪いことではないし、「早く正確な翻訳」を作成するために役立つと思っています。ただ、あくまでも補助ですので、機械翻訳で、薬の名前等、自分が知らない原語や訳語が出てきたら、本当に使われている言葉なのか自分で確認する必要があります。IUPAC命名法に基づかない名称記載かもしれません。使われていないなら適切な訳を見つけたり、原文誤記と思われることをクライアントに報告する必要があります。また、秘密厳守のため、機械翻訳データとされたくないからその使用を禁止しているクライアントもいらっしゃいますので、一応了解を得る必要があります。機械翻訳は、上記注意を払ったうえで利用しましょう。
ネット情報の利用について:無料の辞書も沢山ありますが、機械翻訳と同じように人が編集しないシステムのデータは利用しない方が良いです。信頼のおける辞書データを使用してください。特に、海外文献を機械翻訳しただけの文章を、「さも著者が作成した日本文献のように」載せているサイトが数多くあり、これらは要注意です。また、ネットには信頼に値しない技術情報もあふれています。記載してある技術用語も、ローカルルールかもしれません。まず、そのサイトや著者の信頼性を判断してから利用してください。
【問1】
解答作成前に、従来技術のグラスファイバの構造、各部の名称などを調査し、どんな材料から、どんな装置を使って、どのように加工してるのか、イメージしましょう。Consolidateに対応する特許用語には圧密と言う訳語もあるようです。"圧密"をグラスファイバー分野で検索すると、JP2010-520140Aがヒットします。しかし、この圧密は「スート(微粒子から生成された多孔質体)をconsolidateして外側コアを形成する」「外側コア圧密中、プレフォームは放射状および軸方向に収縮する。」とあるように、多孔質体を高温加熱して密度を上昇させる操作を訳しているようです(文中、スートについてはhttp://polymer.apphy.u-fukui.ac.jp/~kuzuu/GroupInside/Lectures/NewGlassDaigakuin/NGGS2008.pdf参照のこと)。一方、本問では、entire structureを炉中でconsolidateしてsolid glass preformを作成する、glass preformを作るためにseparate glass cladding sectionsをaxially combineしなくてはいけないと書いてあります。つまり、複数のglass cladding sectionを合わせて、炉内で一体化する工程です。なので、consolidateを「圧密」と訳すのは問題があります。drawに関して、ここでは線状成形物を作成するのではなく、何本もの細い線を組み合わせる作業ですから、成形などに使われる用語「引抜」を使用するのは違和感があります。その技術分野で、その物、動作、状態を表しているのにぴったりの訳語を選ぶことが、上級翻訳者の証です。そのためには日本語も英語も言葉の意味、使われ方にもっとセンシティブになってください。
光ファイバーの製造方法に関する技術です。この分野に頻出する表現がありますので、少しでも触れておられるのと、全く触れていない場合で、翻訳する場合に大きな違いとなってあらわれます。普段からいろいろな分野に触れておくのも大切です。
●1-(1) solid glass preform:中実ガラスプリフォーム。ほとんどの受験者が、solidを固体と訳されていました。しかしながら、課題の技術内容では、「中実」“being without an internal cavity”(Merriam Webster)です。
●1-(2) consolidate:一体化する。 「強化する」、「固める」、「固化する」などとされた受験者もおられました。確かに「consolidate」にはこのように訳すことが、ありますが、課題の技術内容では、 複数の要素を一体化する、“to join together into one whole : UNITE” (Merriam Webster)です。
【問2】
推進薬に配合する成分の説明をする文章です。なので目的とする特性に悪影響を与えず、成分添加の効果が得られる成分であることが大前提です。この前提に従って、interfereやincorporateの訳語を選んでほしいと思います。Successfullyは、副詞ですから文では「成功した」のではなく「〇〇した」が重要なはずです。successfully used位なら、「使用に成功している」でもよいでしょうが、この場合は、「問題なく〇〇できる」「上手く〇〇できる」などにして頂きたいです。固体推進剤の一種に「ダブルベース推進剤」「二元推進燃料」があるのは当分野の常識のようで、ネット検索すれば関連検索にすぐ出て来ます。また、少し調べると「キャスト方式によるダブルベース推進薬」と言う言葉も出て来ます。可塑剤は、その名の通り、他の成分と混合して材料全体を可塑化するものですから、他の成分との相容性、親和性が重要です。可塑剤の特性についてcompatibilityが出てきたら、適合性では概念が広すぎて違和感があり、相容性、親和性が好ましいと思います。辞書に列挙されているそれぞれの言葉の違いをよく考えて、その場面場面で最も適切な翻訳しましょう。volatibility、diethvlene等の原文誤記を発見したら、訂正翻訳するにしろそのまま訳すにしろ、括弧内に誤記単語を併記し、別記してクライアントに報告したほうがよいし、通常はそう求められます。
ロケットなどに用いることのできるダブルベース推進薬についての技術です。
●2-(1) “incorporate”⇒配合する、均質に混合する。incorporateの訳に苦労された受験者が多くおられました。「取り入れられる」、「導入される」と訳された受験者もおられますが、技術内容にあった適切な用語の選択が重要です。各分野の多数の英語明細書、日本語明細書に触れておくことで、自然とみについてきます。
●2-(2) “successfully”の訳に苦労された受験者も多くおられました。「首尾よく」、「うまく」、「成功裏に」などの意味がありますが、それをそのままあてはまると、不自然な日本語となってしまいます。課題文の文脈では、「問題なく」がぴったりきます。このように訳された受験者も数名おられました。
●2-(3) “an ester, ketone, nitrile or nitro compound”⇒ エステル化合物、ケトン化合物、ニトリル化合物またはニトロ化合物。英語では、“compound”を最後につけて、いちいち“an ester compound, a ketone compound, a nitrile compound or a nitro compound”とはしませんが、日本語で「エステル、ケトン、ニトリルまたはニトロ化合物」とすると、技術内容に誤解を生じることがあります。注意しましょう。この点も、数多くの明細書に触れておくと適切に判断できるようになります。
【問3】
平易な問題なので「triturate」をどう訳すか注目していました。triturated with TBMEと、washed with TBMEなので、実験操作をイメージしながら訳していくと、液体であるTBME(メチルtert-ブチルエーテル)で「粉砕」(辞書そのまま)は変?と疑問に思って欲しかったのです。有機化学の実験操作で出てくるTriturateは、一般の辞書にはなくても、ネットには下記記載があり、良溶媒の(濃縮)溶液に貧溶媒を投入して粉末固体を析出させる精製操作を表すようです。Trituration can be defined as the purification of an impure compound by taking advantage of the solubility differences of the compound vs its impurities in a solvent (or solvent mixture). Below are three common trituration techniques.(http://www.commonorganicchemistry.com/Sidebar/Trituration.htm参照のこと)なので、機械的操作の意味が強い日本語「粉砕」や(ボールミル式)「湿式粉砕」では正確ではありません。「再沈殿」はreprecipitationに対応し、別々の英単語を同じ日本語にするのは好ましくないことが多いです。なので、あまり一般的ではないけれど、専門用語「トリチュレート」が妥当でしょうが、今回、期待した答案はありませんでした。
有機化学合成でよくみられる文章です。
●3-(1) “charged with”⇒入れる、導入する。「満たす」とされた方もいますが、「で満たす」は“filled with”です。この課題では、単に「入れる」ことです。なお、“A was charged with B”は、“B was introduced into A”、”B was placed in B“とも表せます。おぼえておくと、和文英訳にも使えます。
【問4】
特許請求の範囲は、審査対象であり、権利化後は、権利範囲を定めるものなので、誤訳やあいまいな記載は許されません。しかし今回は、請求項14の訳に失敗している方が目立ちました。
●4-(1) 請求の範囲において、ほどんどの受験者が、前提部(A method of preparing a hollow particle)、移行部(cthe method comprising)、本体部(それ移行)について適切に訳されておられました。
●4-(2) “sequentially adding a polyphenolic compound and a divalent iron ion while bringing the polyphenolic compound and the divalent iron ion in contact with an oxidant to form a coacervate on an interface formed by stirring the two fluids that are immiscible with each other”の部分の翻訳に苦労された受験者が多かったです。参考訳をご参照ください。
全体的にみると、訳抜けなく翻訳されていました。次の段階として、文字をおって翻訳するのではなく、技術内容を理解し、できればそれをイメージしながら翻訳するように努力しましょう。
特許関係の翻訳の分野でも、機械翻訳は今の時代では大変に有用なツールとなってきました。翻訳スピードが格段に早いことが、大きなメリットです。何事にも両面があるように、もう一方、機械翻訳では、翻訳後の後処理をしたとしても。その翻訳にひきずられてしまい。技術内容が十分に反映されたものでなくなる場合もあることに注意が必要です。今回の答案を拝見していますと、機械的に字面を追って翻訳しているとのではと思える箇所が多々みられました。どのようなツールを使用しても、翻訳文は、技術内容を適切に表したものであることが第一優先順位です。
過去の出題、参考訳、講評を精読して、理解し、腑に落としていくことでも大きな力となるでしょう。
次回、さらにステップアップして検定に挑戦され、その解答を拝見するのを楽しみにしています。
※2023年1月26日付けで参考解答に一部誤りがございましたので訂正しております。
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1級/バイオテクノロジー
第31回 知的財産翻訳検定 1級/バイオテクノロジー 講評
今回は、全体によくできていたと思いましたが、受験生の間で同じような間違いが多かったように思います。
【問1】
Blacklegを黒脚病と訳している方がいましたが、黒脚病はジャガイモなどの病名で、ここでは、キャノーラ(セイヨウアブラナと呼ばれる菜種の一種)の病気についての話ですので、根朽ち病が正しい病名です。ちなみに、黒脚病はPectobacterium carotovorum subsp.carotovorumなどの細菌によって引き起こされますが、根朽ち病は、問題文にも出てくるように、Phoma lingamという糸状菌(真菌)によって引き起こされます。このことを明確にしないと、fruiting bodiesやcankerなどについても、正しい訳語に行きつきません。
【問2】
linkとjoinが出てきますが、必ずしも訳しわける必要はありません。例えば、「化学的に連結した」という表現は、日本語として違和感があります。一方、「結合した核酸セグメントを結合させる・・・」という表現も日本語として冗長です。「連結」というのは、「ひと続きになるようにつなぎ合わせる」ことなので、そういう場面で使うのが日本語として自然な使い方です。なお、「結合」という日本語に対して、対応する多くの英語がありますが(join、link、bond、bind、conjugateなど)、基本的には、日本語にするときは必ずしも訳しわける必要はなく、日本語として正しい表現になるように訳してください。例えば、蛍光分子を抗体にconjugateさせることを、別のところで、「結合」と使っているために、わざわざ「接合」と訳す人がいますが、これは日本語として意味をなさず、誤訳です。逆に、日本語で「結合」とあっても、英語にするときには、文脈に沿って、正しい英語になるように訳し分けてください。「結合」だから、すべてbondで訳している訳文も見かけますが、これも誤訳につながります。翻訳というのは、用語を1対1に変換する作業ではなく、それぞれの言語で同じ情報になるようにすることであるという基本的なことを、再確認してください。
"specific embodiments"の"specific"を「特定の」と訳している方が多かったのですが、これは「具体的な」という意味です。日本語で「特定の(実施形態)」というと、全ての中で決まった(特別に定められた)いくつかのもの、を意味し、いくつかの実施形態に当てはまることであり、他の実施形態には当てはまらないこと、という背景が感じられます。しかし、"specific embodiments"はそういう意味ではなく、前文で述べたことを具体的な実施形態で説明することを意味します。
【問4】
a number of・・・を熟語とみなして、「いくつかの」「複数の」などと訳している方がいましたが、これは「・・・の数」という意味です。「・・・の数」という場合、普通の英文では、定冠詞を取りますが、請求項の場合、初出の名詞は不定冠詞を取りますので、これらが同じ形になってしまいます。その場合、前後の文脈から、どちらであるかを識別する必要があります。ここでは、配列タグの数を計算し、それを用いて染色体量を計算しますので、「・・・の数」という確かな数を表す意味になります。「いくつかの」というように不明瞭な数だと染色体量が計算できず、発明が実施できません。
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