第35回知的財産翻訳検定試験 参考解答訳と講評



参考解答訳および講評の掲載にあたって

 当然のことながら翻訳の試験では「正解」が幾通りもあり得ます。
 また、採点者の好みによって評価が変わるようなことは厳に避けるべきです。このような観点から、採点は、主に、「これは誰が見ても間違い」という点についてその深刻度に応じて重み付けをした減点を行う方式で行っています。また、各ジャンルについてそれぞれ2名の採点者が採点にあたり、両者の評価が著しく異なる場合は必要により第3者が加わって意見をすりあわせることにより、できるだけ公正な評価を行うことを心がけました。
 ここに掲載する「参考解答訳」は作問にあたった試験委員が中心になって作成したものです。模範解答という意味ではなく、あくまでも参考用に提示するものです。また、「講評」は、実際に採点評価にあたられた採点委員の方々のご指摘をもとに作成したものです。 今回の検定試験は、このように多くの先生方のご理解とご支援のもとに実施されました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 ご意見などございましたら今後の検定試験実施の際の参考とさせていただきますので、「参考解答訳に対する意見」という表題で検定事務局宛にemail<kentei(at)nipta.org>でお寄せください。(※「(at)は通常のメールアドレスの「@」を意味しています。迷惑メール防止対策のため、このような表示をしておりますので、予めご了承ください。)


 ※採点方法等につきましては、知的財産翻訳検定試験 採点要領 をご確認ください。


1級/知財法務実務


第35回 知的財産翻訳検定 1級/知財法務実務 講評

【問1】
<出題のねらい>
 本問は、アメリカ合衆国・連邦巡回控訴裁判所(CAFC)の判決に取材しました。事案は、米国特許商標庁(USPTO)のPatent Trial and Appeal Board(PTAB)が下した特許無効の決定に対する不服申立事件です。審理の対象となったアメリカ特許にプロダクト・バイ・プロセス(PBP)クレームがあるとの認定のもと、そのクレームが先行技術に対して所要の特許性を有するか否かが争点となりました。PBPクレームは、物の発明をその物の製造方法によって特定するクレームを言います。PBPクレームの解釈は、国や地域によって差異があります。特許性を判断する局面においては、製法に関わらず製法により特定される物の構成に基づいて特許性が判断される点でほぼ統一を見ていますが、例えば日本においては、物の発明は本来その構成によって特定されるべきであって、製法により物の特定が許容されるのは、その物の構成を特定することが極めて困難である、あるいは不可能であるといった特段の事情を有する場合に限定される、との判断基準が設けられています。このため、PBPクレームを含む特許出願にあっては、審査においてPBPクレームが明確性に関する拒絶理由を指摘されることもままあります。このような背景から、出願権利化の局面においてPBPクレームに関する翻訳が問題となる場合も多いと考え、本出題に至ったものです。

<採点しての所感>
 出題の事案では、クレームに記載されていた”cast in one piece”という製法に依拠した記載がPBPクレームと解釈されるべきかが一つの争点となりました。したがって、まずこの語句を適切に訳出することが重要となります。例えば「一体に成型/鋳造」といった訳出が考えられます。また、判決中においてPBPクレームの機能を示している、Product-by-process claims “enable an applicant to claim an otherwise patentable product that resists definition by other than the process by which it is made.”という文章も同様に本出題に係る判決では重要な記載です。resistという単語が訳出を難しくしているきらいはありますが、前段に「出願人がotherwise特許しうる製品をクレームすることができる」とあることを踏まえれば、後段が製法以外の定義が困難であることを意味していることが理解できると思います。その他参考解答を参照して本問を吟味していただければ幸いです。

<知財法務実務部門の出題について>
 ここで、出題からは離れますが、当ジャンルでの出題方針についてあらためて触れておきたいと思います。当ジャンルは、知財分野の翻訳に携わるうえでは、いわゆる特許翻訳の枠に収まらない種々の翻訳需要に応え得る能力レベルの認定を行うことも必要であるという理念に基づいて設けられています。そのため、明細書翻訳以外のあらゆるサブジェクトが想定されることから、出題は、主に特許分野の権利化プロセス、その後の権利活用の部面を意識したパートと、知財契約を中心に、法務分野に軸足を置いた分野とを組み合わせて総合的な力量を判定しようとしています。そのため、毎回の出題について能力判定基準に即した難易度のばらつきは極力生じないように考慮しています。しかしながら、客観的に出題難易度のばらつきを皆無とすることは不可能で、受験者各位には出題者以上に問題レベルの変動が感じられるかもしれません。この点、左様感じられた場合には、検定試験にまつわる避けがたい属性とご理解いただければ幸いです。今後とも知的財産翻訳の屋台骨を背負って立つの気概をもって挑戦していただければ出題者の喜びこれにすぐるものはありません。


【問2】
 「知財法務実務」の翻訳に携わる方とは、特許事務所・法律事務所、企業内知財部・法務部等のそれぞれの立場において、いわゆる特許明細書翻訳以外の翻訳ニーズを満たすことを期待されている人材との想定の下、「知財」の名の示すとおり特許以外の分野にも「法務」の名の示すとおり権利活用・行使の場面にも対応することのできるジェネラリストとして、かつ法律関連文書を取り扱うことのできるスペシャリストとしての力量を試すことを目的としています。
 上記に鑑みて、本問では、ジェネラリストとして「あまり知識のない分野の題材であっても、想像力を駆使して設定背景を咀嚼することのできる力」、またスペシャリストとして「文書の細部にまでこだわることのできる力」を見ることに主眼を置いています。したがって、従来から繰り返し強調しているとおり、今回の場合であれば、NFTやスマートコントラクトなどの知識は何ら要求しておらず(これらはあれば加点要素です。)、「原文咀嚼」と「細部までの正確性」とをどこまで追求できているかを判断基準としています。

 <各小問共通の点として>
 過去から繰り返し強調しているとおり、「定義語」については定義語として訳出しなければなりません。定義語であるにもかかわらず、通常語と区別不能な形態で訳出すると、当該語については、定義を適用せず、通常語として解釈すべきなのか曖昧になります。法律文書としての契約の解釈を大きく変貌させるものであり、法律文書の翻訳文として不適切です。英和翻訳の場合、定義語は、「本件●●」や「本●●」などと訳出することで定義語として区別することが一般的ですが、本問では、複数語から構成される定義語「Authorized Third-Party Services」や、動詞の定義語「Mint」をどのように訳出すべきか悩まれたと思しき答案がございました。後者の方は、正直「ミント」とそのまま訳してもよろしかろうと思いますが(参考解答では鍵括弧付きで「ミント」としています)、前者については漢字をうまく組み合わせて日本語として一単語となるように工夫が必要なところでしょう。

 <各小問個別の点として>
 ・第1条の(3)及び(4)について、いずれも広告宣伝を謳う内容になっていますが、「何を」広告宣伝するのかが訳漏れとなっている回答が見られました。(3)の方は、本プラットフォームの宣伝広告のために本作品を用いることが規定される一方、(4)の方は本作品の宣伝広告のために本作品に関する販促素材を用いることが規定されます。契約当事者にとって、「何を」広告宣伝するのか(本プラットフォームなのか本作品なのか)は、非常にセンシティブな問題です。訳し漏れによって後から大きな揉め事に発展することも考えられるので非常に注意したいところです。

 ・第3条において、「non-fungible token」という語が出てきますが、これをなぜか「非可溶性トークン」と訳出した回答が複数見られました。Non-fungibleを辞書で引いても「非代替」や「代替不能」という訳語しか出てこず、機械翻訳で作成した下訳が検証されずにそのまま残っているのか?という推察をしています。しかしながら、検索をすれば「NFT」=「non-fungible token」であることはすぐに分かるわけですし、また「non-fungible token」=「非代替性トークン」であることも明らかです。翻訳を発注する立場の視点からすると、検索すれば容易に答えがわかるものについて、なぜ全く関係のない「非可溶性」という用語が出てくるのか?というのは理解しがたいものであり、この一語を見落としただけで他は素晴らしい翻訳文を仕上げたとしても、「この翻訳者は分かっていない。この翻訳文は品質が悪い」と思い込んでしまう危険性が高いです。


 最後に、繰り返しではありますが、どの分野の翻訳でも原文咀嚼(字面追いは厳禁)を徹底すること、また法務分野では原文に対して「足さない、引かない」こと、細部までこだわることが質に大きな影響を与えます。残念ながら今回合格とならなかった受験者にも、上記した点などを参考にされ、ぜひ再度チャレンジしていただきたいと思います。

 

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1級/電気・電子工学

第35回 知的財産翻訳検定 1級/電気・電子工学 講評


【総論】
 多くの答案は全体的に高いレベルにあり、よく勉強されているという印象を受けるものでした。ただし、原文の読解を誤ったことで、減点が積み重なり、合格基準に達しなかった答案も多かったようです。また、読解は正確でも、それを正確な日本語に置き換えることが出来なかった答案も散見されました。結果として合格となった答案は少数でした。

 正確な訳出のためには、まずは英文を正確に読解する能力が必要であることは言うまでもありません。英文の読解のためには、英文法の基本的な知識は勿論ですが、正確で豊富な技術知識も必要です。その技術分野に合った訳語や表現を選ぶ必要があります。

 また、文章の前後関係を把握して訳出をすることも重要です。前後関係を把握できずに誤訳になったと思われる答案も散見されました。字面を追うだけでなく、出来上がった訳文を見て、前後の文章で論旨が合っているかを確かめ、違和感を感じたならば、そこに誤訳があるものと察知し、見直すことが大事です。


【各論】
 [問1]
 自動運転に関する背景技術の問題です。概ね一般的な内容であり、丁寧に読んでいけばそれほど難しい内容ではありません。ただし、一部に長文が含まれ、修飾関係が一見では明確ではないので、その点を注意して訳出する必要があります。原文の内容は把握できていると見受けられるが、結果として訳文の日本語が正確でない答案も少なくありませんでした。特許翻訳は、原文の意味を理解するだけでなく、それを正確な訳文に置き換えることが必要です。

 細かいところでは、段落0009の「..., and other forms of....」の部分を、「、注意散漫な又は乱暴な運転の他の形式」と訳してしまっている答案がありましたが、ここは、それ以前の例示を纏めるように「…、及び他の形式の注意散漫な又は乱暴な運転」とすべきかと思います。また、tailgating, rubbernecking など、馴染みのない単語が登場しますが、カタカナに直して済ませて良いのかは慎重に判断していただきたいと思います。


 [問2]
 個人の各種刺激に対する反応を検査し、修正するためのシステムに関する問題です。図面も添付されており、発明の概要を掴むことは容易だったかもしれませんが、一部の文章特に最後の1文が長文であり、修飾関係が不明瞭であるため、読解が難しかったと思います。最後の1文は、2通りの解釈が可能として、どちらも正解と判断しました。試験問題としては、このような二通りの解釈が可能な問題は相応しくないかもしれませんが、現実の依頼において、このように解釈に悩む原文は少なくありません。文章全体として整合が取れ、原文からも離れない訳出をすることが求められます。また、本問も、問1と同様、正確に読解するだけでなく、日本語の回答を、正確で読みやすいものにすることが求められます。


 [問3]
 シンプルなIT系のクレームの翻訳であり、比較的容易であったものと思います。とはいえ、複数の請求項があり、同じ用語が繰り返し登場するため、標記の揺れ等がないように注意する必要があります。本問でも、「null」をそのまま英語で訳出する一方、一部では「ヌル」とカタカナで訳出した答案が散見されました。実務でも起こりがちなケアレスミスですが、クレームでは、この程度の間違いでも記載不備の拒絶理由となり、特許庁とのやり取りが1回増えてしまいますので、注意しましょう。
 
 

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1級/機械工学

第35回 知的財産翻訳検定 1級/機械工学 講評


 今回は色々と例年とは志向が変わっていて、過去問題でヤマを張って準備された方は少々戸惑われたかもしれません。しかし、結果的には出来は例年とあまり変わらず、全体的に高いレベルを感じさせるものがありました。一方、あと少しだけ気をつけてミスを排除するようにすれば合格ラインに届いていたであろう不合格A判定の方も数名いました。


【問1】
 問1は、例年は口語的だったり抽象的だったりする、あまり良くない英文が出題されるのですが、今回は非常にキレイな英語の文です。機械翻訳にかけてもきちんと翻訳されそうな雰囲気で、実際にかけてみるとキレイな和文が出てきます。しかし、そこに罠があるのです。というのは、この英文は極めて効率的に書かれており、少ない単語数で多くの情報を伝えているのです。それを拾えなかった不完全な機械翻訳に対してMTPEがきちんとできなければ、減点になります。そして、それができるのは、手翻訳でやった場合にその情報がきちんと拾い切れる翻訳者でしょう。ところが、明らかな誤りが含まれているのに、それが和文としてスラスラ読めてしまうため、誤りを含んでいないという錯覚に陥ってしまうのです。もちろん、全員が機械翻訳で下訳をしているとは思いませんが、人間が翻訳した場合にはまず考えられないような訳文が散見されたのも事実です。

 この問1のもうひとつの特徴は、イディオムの多さです。MTPEは別として、翻訳者は相当レベルの「イディオム語彙」を持っていなければ、文脈を誤解し、端的な「直訳的誤訳」になってしまいます。ある程度のレベルに達すると、文法とかを学ぶよりはイディオムなどの語彙を増やした方が良い範囲に入っていきます。そこからは、「習うよりは慣れろ」の世界です。

 特に誤訳が多かったフレーズを紹介します。完全な正解が一人しかいなかったのは、段落0003のcatastrophic failureです。これは技術用語で「突発故障」というものです。今までは正常に作動していたように見えた部品が、次の瞬間に粉々になっているような状況を言います。この訳語を知らない方が多いのは当然のことなので、「破壊的な故障」など、的外れとまでは言えない表現は全てOKとしました。一方、「無残な失敗」など、内容も吟味しないで使用した用語選択は減点としました。

 そのほかでは、ready for maintenanceを「保守の準備」、use in serviceを「サービスでの使用」といった訳が目立ちました。文脈を考えるとあり得ない訳ですが、だからと言って細かく調べて回る時間がないのが試験の実状です。平時から持っている道具(イディオムなど)をどれだけ増やせるかが肝心です。


【問2】
 問2は、かなり難しい上に、原文に明らかな誤りが含まれている文章ですが、受験者の方々はその状況を理解して気合を入れて取り組まれたようで、意外に大きなミスは少ないように思えました。段落15の1行目にthe rims 68, 76 and the included wall 76とあります。the rims 68, 76 は実はthe rims 68, 72 の誤記であることは前後から明白ですので、そのように修正してメモされた方も、修正せずにその旨の訳注をつけて翻訳された方もOKとしました。一方、ノーメモは減点です。これに対して、the included wall 76は誤記でありそうですが、何の誤記であるのかがはっきりしません。さまざまな代案が受験者の皆様から示されましたが、少なくとも試験に提示された内容からは明確な答えは得られなさそうです。そこで、解答例には、誤記を疑いながらもそのまま翻訳した旨の翻訳メモの例を記載しました。

 用語coupleは、空気の領域どうしが繋がっている「連通」のような意味なので、「連結」のような用語にこだわる必要はありません。「混ざる」「繋がる」というような回答も見受けられましたが、明らかに技術的に間違っているもの以外はOKとしました。


【問3】
 問3は、軽油及び尿素水溶液を輸送するためのタンクに関する発明を対象とするクレーム翻訳です。本発明は、特に形状に特徴を有しているので、発明の限定要素として形状を機能と関係づけて的確かつ正確に表現できるか否かがポイントとなります。発明は、一般に発明の構成要素を有機的に結合した全体としての構成の困難性と特有の作用効果を考慮した上で進歩性が判断されるからです。

 本発明は、特に機構系や駆動系を有していません。しかしながら、「to allow said second container (3) to be inserted and extracted from above」や「to define a male/female coupling, allowing said second container (3) inserted in said seat (20) a single degree of freedom of movement in the direction of extraction and insertion」といった機能を表す不定詞句があります。この不定詞句の処理が本問のポイントとなります。

 第1の機能(to allow said second container (3) to be inserted and extracted from above)は、「cavity which extends from said upper side (22) towards the inside of said first container (2)」という形状によって実現されています。したがいまして、凹部(cavity)の形状は、第1の機能(to allow said second container (3) to be inserted and extracted from above)を実現するような形状であることを、さらに不定詞句の形容詞的用法で限定していることになります。

 第2の機能(to define a male/female coupling, allowing (中略) extraction and insertion)は、「said second container (3) and said seat (20) have a substantially similar shape」という形状の相互関係によって実現されています。したがいまして、実質的に同一の形状(substantially similar shape)は、第2の機能(to define a male/female coupling, allowing (中略) extraction and insertion)を実現するような形状であることを不定詞句の形容詞的用法で限定していることになります。さらに、「実質的に同一の形状」との記載は、不定詞句による限定がなければ不明確と認定される可能性が高くなります。

 このように、クレーム翻訳は、特許性の主張を円滑にできるようにするために、構成要素の有機的な結合として形状と機能の関係を明確に記載することが望まれます。特に機械系の特許翻訳は、形状と機能が有機的に関係していることがあり、このような場合には、その関係を意識して表現することが望まれます。

 問3は、簡単そうに見えて表現が非常に難しい問題でした。一方、形状と機能の有機的な関係を明確に記載することは、少し訓練を積めば誰でもできるようになるスキルです。したがいまして、形状と機能の有機的な関係が明確に表現されていれば加点対象とし、大きな減点とはしませんでした。よって、問1及び問2を含んで正確な翻訳が出来ていれば合格としました。


 このように、特許翻訳には、基本的な翻訳の力プラス何か(イディオム語彙、情報整理能力、等)が求められます。冒頭でも述べましたように、残念ながら不合格となってしまった方の中にも、惜しくも合格ラインを割ってしまった方が何名かいました。そういった方はほぼ全員、基本的な翻訳の力がないのではなく、その「プラス何か」が少し足りなかった印象を持ちました。これは勉強と実践で確実に伸ばせますので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 

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1級/化 学

第35回 知的財産翻訳検定 1級/化 学  講評


・特許翻訳の基本について説明します。発明は技術的思想であるので無体物であり、法律で保護を求めるためには、言葉で特定する必要があります。つまり、特許請求の範囲は勿論、明細書の文言の一つ一つが発明を特定するために使用されるので、特許翻訳はとても重要な意味を持ちます。特許紛争においては明細書等は出願人自身が作製したことが明らかな証拠資料であって、被疑侵害者(被告)が権利を無効化又は狭く解釈しようとするために、「不明瞭である、(訳抜けで)記載されていないから根拠がない、特許権者の主張するものとは別の意味として解釈するべきだ」等の主張の根拠となります。なので、「意味だけでなく、技術分野での使用例やそのニュアンスを考慮して」訳語を選択し、できる限り発明者の意図に沿って原文に忠実に、明確に、かつ日本語としてこなれた翻訳文を目指してください。例えば、問1のpreventは溶融に必要なfurther heat inputを阻止するのですから「防ぐ」ではなく「妨げる」の方が好ましいでしょう。又、問3では、appearやvisibleで書いてある部分を「~ように見える」と訳している解答がほとんどでしたが、日本語で「~ように見える」は確信が持てない時に用いられる表現でもあり、この場合、出願人が写真で明示して当該発明の効果を説明しているのですから、辞書にある訳語「目視できる」「明らかである」「看取できる」などの表現を使う方が好ましいと思われます。

・日本の法律条文は「及び、並びに、又は、若しくは」を使用しており、「或いは」の用法は数例くらいしかありません。これら文言の使用の違いを調べてください。機械翻訳だとandは、「~と、」などと変換されてしまいますが、正しい法律用語を適切に使うようにしましょう。andやorの訳を抜かしても意味が通じる時もありますが、権利判断で争われる可能性もあるので冗漫にならないなら逐語訳をお勧めします。

・設問の技術分野での用語を確認して使用しましょう。クライアントにとっては常識と思っている技術用語を適切に使わない翻訳は、印象が悪くなることがあります。問1のmolten poolに関して、本問はアルミニウム精製分野であり、「溶融池」だと、溶接の際にアーク熱その他など熱によって電極や母材が溶融してできた溶融金属のたまり(溶接用語)と同じ用語になってしまうことを考えると、「溶融プール」や「溶湯」の方が良いような気がします(「溶融池」で減点にはしていません)。明細書によく出てくる文言availableとpresentとを、同じ「存在する」と訳すと整合性が取れず不明瞭となることがあるので、区別して訳した方がよろしいでしょう。浮いているアルミドロスが引き寄せられて堆積する場所を示す、炉の開口部のfurnace barrierは、「炉壁」「隔壁」というよりは、溶湯が炉からあふれ出ないための障壁となる敷居部分(sill)を指し、堆積物は溶融アルミニウムの流れの一部を溶融炉に戻す役割を果たします。bucketが「容器」では曖昧過ぎますし、「バケツ」では日用品サイズを思い浮かべます。「アルミニウム溶融 bucket」で検索すれば、簡単に「バケツで運んだ水をバケットにゆっくりと注ぎ」「アルミ地金をバケットに入れ」等がヒットします。問3のexpandableは、発泡消火剤の特性を表すために使用されているので、「拡張性」ではなく、体積が内側から立体的に大きくなる「膨張性」が適切でしょう。

・(同じ語源の)英語の訳語は同じ日本語にしましょう。後で直したいとき、修正が簡単です。機械翻訳の特徴は対訳語が安定しないことです。問1のmelting furnaceに関して、解答中に全く同じパターンで二つの訳語を使っている例が複数見られました。機械翻訳を補助として使うことは否定しませんが、その欠点を理解して利用してください。反対に別の英語に対して同じ日本語をあてる時は、一括修正できなくなるので、適切かどうか確認しましょう。

・問4の薬品名等の固有名詞は、日本語として使われている言葉かどうか確認が必要です。(1)辞書に載っている、(2)KEGG等の大手のサイトに記載されている、(3)「日本人が書いた」「機械翻訳でない」論文中で使用されている、なら安心ですが、(1)~(3)が確認できない場合には、アルファベットをそのまま書く、明細書中に記載があるならカタカナ表記の後に括弧付きでアルファベットを書いておいて、特許請求の範囲ではそのカタカナ表記を書く、などの工夫が必要です。本問のLaurdanは蛍光色素と関連する「ラウルダン」「ローダン」の使用例は確認できましたが、「ラウダン」は機械翻訳の例しか見つからないようです。

・今回は減点しませんでしたが、解答文中の半角スペース、化合物名中の不要なスペース等は、完成前に(あいまいでない)置換検索機能を使ってチェックしましょう。翻訳納品時のルーティーン作業です。

・減点にはしませんでしたが、問2解答中の【0062】は不要です。

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【問2】
明細書の詳細な説明の部分からの出題で、カタカナ語が多く、文章も英語特有な構造を含む文章をわかりやすい日本語に訳出できるかを見ることを意図していました。また、「and」、「or」を「および」、「もしくは」、「ならびに」、「または」などに適切に訳出できるかもポイントとしました。問2に関しては、上手に訳せていた方が多かったと思いますが、不必要に原文を無視した訳文も散見されました。特許翻訳の基本は、原文に忠実な訳文を作ることであることを常に意識していただければと思います。
 
【問4】  
クレームの部分からの出題でした。クレームは、特許権の権利範囲を決める最重要と言える部分ですので、細心の注意をもって訳文を作成する必要があります。本問の方法クレームは、preamble(対象(被検者)の呼気中のアセトンを測定することを規定)-transitional phrase(comprising:含む)-body(具体的な工程を規定)という一般的な構造を有していますが、ここで使われているcomprisingという単語は、その後に続く要素を含み、それ以外の要素が含まれる可能性も許容する、いわゆるopen-endedな意味を持ちます。よって、記載されている工程のみからなる方法に限定されるような訳文は不適となりますので、注意して下さい。また、請求項1中に何カ所か「any」という単語が出てきますが、それぞれ文脈に応じてどのように訳出する(あるいは訳出しない)かを判断する必要があります。「any」の訳として「すべての」、「あらゆる」といった訳語をあてている訳文も見られましたが、今回の文脈では「前記サンプル中にアセトンがもしあれば」といったニュアンスを表していると考えられます。「すべての」、「あらゆる」といった言葉はクレームの限定解釈につながるおそれがあるため、特許実務上は注意が必要です。例えば、「すべてのアセトンを反応させる」とした場合には、一部未反応のアセトンが生じるケースが権利範囲外と判断されるおそれがあるため、このような訳しかたは避けるべきであると考えられます。クレームに関しては、権利範囲への影響まで考慮して翻訳できるようになることが理想です。特許翻訳の基本は一対一の対応で各語を訳出することではありますが、以上をふまえると、今回の「any」は必ずしも明示的に訳出する必要はないとも言えます。なお、請求項2の「Laurdan」の訳については、おそらく機械翻訳の結果をそのまま採用したと思われる訳文が見られました。専門用語に関しては、機械翻訳の訳語をそのまま信用するのではなく、裏付けをとる姿勢が重要と思われます。「Laurdan」に関しては、定訳があるという状況ではないかもしれませんが、参考訳では「ライフサイエンス辞書プロジェクト」(https://lsd-project.jp/)に収録されている「ラウルダン」を採用しています。 

 

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1級/バイオテクノロジー

第35回 知的財産翻訳検定 1級/バイオテクノロジー  講評

【総評】
 今回は、背景技術の翻訳ができていた受験者は、技術部分の翻訳の出来が悪く、逆に技術部分の翻訳ができていた受験者は、背景技術の翻訳の出来が悪いというように、明確な傾向がありました。もしかすると、理系・文系との関連があるのかもしれませんが、自分の弱点をよく知って、それを補うような勉強をしてください。

【問1】
 英語の意味は理解するのがそれほど困難ではないけれど、日本語にするのが難しいという英文です。直訳すると日本語の意味が理解できなくなりますので、英語から離れないようにしながら、情報を100%伝える必要があります。例えば、"low endogenous DNA samples"の場合、「低内在性DNAサンプル」と訳しても、何が低いのか理解ができません。前半が特に難しかったようです。参考解答を参照しながら、自分なりの日本語を考えてみてください。この問題がうまく訳せなかった人は、日本語の引き出しを増やすように勉強して下さい。お勧めの勉強方法は、読書量を増やすことです。

【問2】
 第2文を訳せていた人はほとんどいませんでした。前半"The variable domains tolerate variation to be introduced without compromising scaffold integrity,"は、「可変ドメインは、足場の完全性を損なうことなく導入される変異は許容する」という意味であって、「可変ドメインは、導入される変異を、足場の完全性を損なうことなく許容する」という意味ではありません。なぜなら、可変ドメインであっても、足場の完全性が損なわれれば、変異を許容できないからです。このことが理解できていれば、正しい訳にたどり着くはずだと思います。後半"the variable domains can be engineered and selected for binding to a specific antigen"は、前半のことから、可変ドメインに変異を導入すると、抗原に結合するかどうかがわからなくなるわけですから、変異を導入した中から、特定の抗原に結合するものを選択することになります。for bindingのforは、ask forなどと同じで「求めて」という意味です。にもかかわらず、「可変ドメインは、特定の抗原への結合に対し、遺伝子操作して選択される」などと訳している答案が多かったです。訳した文の内容が、本当に正しい文脈になっているのか、必ず日本語を検討する必要があります。

【問3】
 ある明細書の実施例からの出題です。実施例は、何を調べるために、どのような実験を行っているのかをイメージしながら訳さないと、訳が不自然になりがちです。内容理解の手助けとなるよう、出題部分の1つ手前の段落、及び、図4も示しましたが、これらが十分に考慮されていない答案は減点が目立ちました。一方で、技術内容が理解できている答案は品質がよかったです。バイオの翻訳者を目指すならば、一定レベルの技術的理解は不可欠です。

【問4】
 請求項1は比較的よくできていましたが、請求項5を間違えている答案が目立ちました。バイオ分野ではアミノ酸配列やヌクレオチド配列について「sequence identity」という表現が多用され、これは「配列同一性」が定訳ですが、identityがでてきたら何でもかんでも「同一性」と訳せばよい、というものではありません。請求項5のidentityは、「その生物が何であるか」、その生物の「正体」といった意味合いです。技術文章の翻訳では、用語の意義を文脈から判断する力が求められます。

 

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2級

第35回 知的財産翻訳検定 2級 講評


【全体講評】
 2級試験は、技術分野によらず、特許翻訳の基礎知識が備わっているかどうかを問う試験です。そのような観点からは、基本的な特許翻訳のルールを体現した答案が多かったのですが、なかには、「ですます調」の記述や、請求項の訳のルール違反(複数の句(。)の使用、抽象名詞でクレームを締めくくるなど)が目につきました。また、機械翻訳をベースにしたと思われる答案もかなり目につきましたが、時間不足の故か多くの場合日本語の整理が不十分で誤訳の残るものでした。

【問1に関して】
 傷の治療法について特許明細書はあまり目にすることはありませんが、その割にはよくできている答案が多かったです。一方、筆が走った過度の意訳も目につきました。背景技術の記載部分であっても、原文から離れることは大変危険です。課題文においては”rate of healing”は、前後のコンテクストから、治癒の速さ、を意味していることは明らかです。”rate”には、単位時間当たりの量(速さ)の意味があります。「治癒率」は、快癒した割合という意味で使われることが多いようなので少し減点しました。“Application of negative pressure”は「陰圧(負圧)をかける。」という意味です。「陰圧アプリケーション」とか「陰圧の応用」では意味が通りません。

【問2について】
 “interactive toy”の訳語については、「対話型玩具」、「双方向性玩具」、「インタラクティブ玩具」の何れも正解としました。The interactive toy 10 comprises a toy housing 15 and, accommodated in said toy housing 15, a function device 14 for performing user-perceptible, controllable functions 140; a control circuit 13…a rechargeable power source 12…;..の文脈において、挿入句 ”accommodated in said toy housing 15,“をa function device 14のみにかけた答案が非常に多くありました。該当部分は発明の構成要素を定義する記述ですから、よく英文と図面とを見て訳す必要があります。
 定冠詞を無視する訳文が非常に多く見られます。theは、前出の名詞を受けて「この、前記、その、本」と引用して文のつながりを出す意味を有するので、訳出するということを原則とした方がよいでしょう。そうでないと、文全体のつながりが失われて、単一の文章の集合にすぎなくなり、論旨、意味の流れが明確に伝わらなくなるのです。

【問3について】
 “Unmanned Aerial Vehicle”(UAV)が「ドローン」と完全に同じかどうかについてはいろいろ議論があるようです。ドローンはUAV の一形態であるという意見もありますので、矢張り原文に即して「無人航空機」などと訳したほうが安全です。”receiving structure”を、「受信構造」と訳した答案がかなりたくさんありました。機械翻訳をベースにしたためかもしれません。課題文で言う”receiving structure”は、電気部品を収容する収容構造というような意味です。”coupled to”(結合されている)が、「対になっている」と訳されているのも、内容を理解しながら訳せば思い浮かばないような訳です。



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3級

第35回 知的財産翻訳検定 3級 講評


 解答と解説をご覧ください。


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中国語



第35回 知的財産翻訳検定 中国語 講評

 
 今回は10名が受験し、5名が合格しました。また、合格までには至らなかった受験者も、そのほとんどがあと一歩で合格という成績でした。以下、各問において頻度の高かった誤訳や不適切な訳について簡単に解説しますので、ご参考になれば幸いです。なお、そのほかのご不明な点については、≪参考解答≫をご参照ください。  
 
【問1】  
 問1は、翻訳力および特許文書の書き方、具体的には「特許請求の範囲」の書き方の両方を考査する問題です。問1では、技術内容の誤訳がなく、ほとんどの受験者がよく翻訳できましたが、装置を構成する部材の名称が正確さに欠けている訳語が幾つかありました。例えば、“机壳”を「ケース」に訳し、“排垢管”を「汚れ排除管」に訳すなど。、「ケース」に対応する中国語は“盒(子)”、“箱(子)”、“外壳”であり、“机壳”の適切な訳語は「ハウジング」又は「筐体」です。また、“排垢管” の“排”は、文字の意味だけ考えますと、「排出」と「排除」のいずれにも解釈できますが、技術内容から考えますと、ここでの“排”は「排出」の意味であり、適切な訳語は「汚れ排出管」又は「スケール排出管」です。このような部材名の訳語の微妙な意味ずれは、装置に関する特許翻訳でよく発生する問題であり、より適切な訳語に訳すためには、その部材の材料や形状及び機能をよく理解することが大事です。  
 また、問1は、技術内容的には難しくなかったと思いますが、原稿に前後のセンテンス間の関係が不明瞭な記載が一箇所あって、受験者の皆さんはどのように解釈して翻訳するか大変悩んだと思います。具体的には、請求項1における“所述内管(21)和所述外管(22)与其两端的环形的套管端盖(24)围成的热水腔围成的热水腔”ですが、その前のセンテンスとの関係が不明瞭な記載になっています。受験者からの答案には、“热水腔”を、“烧水加热套管”に含まれている一つの構成要素であると解釈して訳した答案や、“烧水加热套管”が有する空間であると解釈して訳した答案や、“…围成的热水腔”を“…围成热水腔”に修正して翻訳した答案など、幾つかの訳し方がありますしたが、原文の不明瞭さを考慮していずれも正解と判定しました。なお、参考解答は、“…围成的热水腔”を“…围成热水腔”に修正して翻訳したものになっています。特許翻訳の実務においては、原稿を修正して翻訳する場合、クライアントが確認できるように、必ず翻訳メモを作成し、翻訳文とともに提出してください。  
 
【問2】  
 問2は、パルプと紙の製造工程で発生する汚染物の処理に関する問題であって、多少専門性の高い専門用語が多かったですが、特に難しい内容ではなかったと思います。問2で複数の受験者が減点されたのは“…废水污染物成分复杂,色度深,处理困难…”に対する翻訳で、「…廃水汚染物の成分は複雑で、色度が高く、処理が困難で…」のように訳した答案が多かったです。このように訳すと、“色度”の主体や“処理”の対象などが不明な表現になります。適切な訳文は「…廃水汚染物は、成分が複雑で、色度が高く、処理が困難で…」です。また、中国語の“一级”と“二级”をそのまま「一級」と「二級」に訳した答案がありますが、ここでは、「一次」と「二次」に訳すのが正しいです。また、専門用語の“物化处理”を「物理学的処理」に訳し、“生化处理”を「生物学的処理」に訳した答案がありますが、“物化”は“物理化学”の略語で、“生化”は“生物化学”の略語ですので、“物化处理”は「物理化学的処理」、“生化处理”は「生物化学的処理」に訳すのが正しいです。  
 
【問3】  
 問3は、特許明細書の「実施の形態」の部分を翻訳する問題であって、電気の技術分野で良く見られるフィードバック処理のフローを記述する内容でした。まず、中国と日本の両方の明細書に詳しい方にとって、中国語原文の“结合本申请实施例中的附图”は中国特許明細書において決まり文句のようなものであり、日本語特許明細書における決まり文句「本出願の実施例における図面を参照しながら」に対応していることは明らかであります。ただし、このことを知らないと中国語原文の“结合”を「とともに」、「組み合わせながら」、「に合わせて」等いろんな訳し方をしてしまいます。採点の際に、意味さえ合っていれば、完全に誤訳とはせずになるべく減点しないようにしましたが、ここの“结合”を、直訳ではない用語「参照」に翻訳できるのが理想的です。それから、一点難しいようだったのは「ステップ100」についての説明の部分です。ここでは、「執行機構の動作の変化が予め設定された動作閾値よりも大きくなる度に」、一回だけ「執行機構の動作電流を記録し」、このようなことを「予め設定された回数分」だけ繰り返すという意味が分かるように訳す必要があります。  
 


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ドイツ語


第35回 知的財産翻訳検定 ドイツ語 講評


 【問1】
 ドイツは二酸化炭素等の温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることを目標にしており、風力発電や太陽光発電などから得られる再生可能なエネルギ(erneuerbar. Energie)の利用を増やしています。しかし、発電量や電力需要は一日の時間帯によって変動するので、電力供給の過不足が生じる場合があり、その場合、何らかの手段を用いて過不足を補償しなければなりません。特に太陽光の多い時間帯や強風の時間帯では再生可能エネルギ量が増大し、状況によっては電力の供給が需要を上回る電力過剰供給(Überangebot an Strom)の事態が発生します。そのような場合は、制御可能な発電所において出力を絞ったり、エネルギ貯蔵技術を用いて余剰電力を貯蔵することが必要となります。

 現在考えられている手段の一つは、風力発電などで発生した余剰電力を利用して、水を電気分解することにより水素を製造することです。余剰電力を水素に変えてしまえば、タンクなどで貯蔵することができるからです。

 そして、この電気分解により得られた水素(グリーン水素)はさらにメタノールの製造のために利用されます。すなわち、グリーン水素を、工業的なプロセスにおいて生じた二酸化炭素と反応させて(mit etwas3 umsetzen)メタノールを生成させるのです(環境循環型メタノール)。工業プロセスにおいて発生する二酸化炭素は、地球温暖化(global. Klimaerwärmung)を助成する温室効果ガス(Treibhausgas)なので、現在では種々の工業プロセスを、できるだけ気候中立(klimaneutral)に、つまりできるだけ二酸化炭素排出量ゼロで運転することが求められています。したがって、余剰電力を利用して水素を製造し、この水素を、工業プロセスにおいて発生する二酸化炭素と反応させて有価物であるメタノールを製造することは、温暖化防止の要求にも応えられることになります。このようなプロセスは、「Power to Gas」と呼ばれ、日頃から関心を持って新聞やネットの記事などをチェックしていれば、なんとなく目にするトピックであるかと思います。こういった日頃のリサーチも特許翻訳者として必要なルーティンワークと云えるかもしれません。

 さて、この場合に問題となるのが、平衡転化率(Gleichgewichtsumsatz)です。原料として二酸化炭素と水素を使用すると、合成ガスを使用した場合に比べて転化率が大きく低下してしまうのです。そこで、考えられたのが、反応しなかった未反応の二酸化炭素と未反応の水素とを反応器に戻して再循環させ、これにより転化率を向上させることです。しかし、一旦戻された未反応のガスは膨張しているので再圧縮しなければならないため、コンプレッサのエネルギ必要量が増大するという問題が生じます。

 そこで、本発明の課題は、転化率を高めると同時にエネルギ効率が良くなるような方法および装置を提供することです。

 問1の問題文は比較的長いですが、重複する単語が多く、また上記バックグラウンドをしっかりと把握できれば、ドイツ語文自体はそれほど難解ではないので、比較的スムーズに訳し降りられるのではないでしょうか。


 【問2】
 図面を参考にして実施形態を読み解く問題で、技術内容の理解度が問われるドイツ語文章です。今回は、SCR触媒を用いた排ガス後処理に関するものです。

 SCR(選択触媒還元)触媒を用いると、窒素酸化物濃度を低下させることができます。このためには、一般に排ガス中に還元剤として尿素水溶液を噴射し、高温下にアンモニアを形成します。このアンモニアは、下流に配置されたSCR触媒において、排ガス中に含まれている窒素酸化物NOxと反応し、窒素と水とを生成する(還元)ので、NOxを無害化することができます。まずはこのような背景技術を十分に認識しましょう。

 ここでは、コールドスタート時の内燃機関の排ガス後処理システムの効率を向上させるという課題が課せられています。

 本実施例では、排ガス流が、図示の流路を介して2回変向されます(zweimal umgelenkt)。第1の変向は、変向装置3を介して行われ、コンポーネント2を通過してきた排ガスが、第1の環状室4内に導入されて、コンポーネント2もしくは排ガス管1の外側の傍らを通って案内されます(vorbeigeführt)。このときに排ガスはコンポーネント2に熱を引き渡します。

 このように、排ガスは、加熱されるべきコンポーネント2(SCR触媒)の内部を通って案内されるだけでなく、再度コンポーネント2の外側の傍らを通って案内されるので、内燃機関のコールドスタート時にコンポーネント2は、より迅速に加熱されるようになります。これにより、コールドスタート時の内燃機関の排ガス後処理システムの効率が改善されます。また、恐らく、これによりコンポーネント2が、より迅速に作動温度にもたらされるようになるので、たとえばCO2を発生させる付加的な加熱装置を使用しなくて済むようになると推測されます。

 まずは、上で説明したような排ガスの流れをきちんと理解できるかどうかがポイントとなります。図面と矛盾していないかどうか、内容的に理屈が合っているかどうか等をしっかりと確認しながら翻訳を進めることが肝要です。

 「変向」(umlenken)を「偏向」と訳したケースが散見されましたが、これは主として電子ビームなどの軌道を変えるときに用いる用語です。ここではたんに「向きを変える」=「変向」でよろしいかと思います。


 【問3】
 特許請求の範囲に関する問題です。まずは特許翻訳者として、特許請求の範囲の基本的な書き方をきちんと認識していることが求められます。

 今回は、いわゆる「X-by-Wire」技術に関するものです。アクセル、ブレーキ、ステアリング等の運転者の操作を電気信号に置き換えて自動車を走行させることができます。この場合は「ステアバイワイヤ」なので、運転者のステアリング操作を電気信号に置き換えて操舵します。

 問題文の特許請求の範囲は、ステアバイワイヤ式の操舵システムに用いられる調節可能なステアリングコラム(10)に関するものです。「調節可能」とは、たとえばステアリングコラムを走行時の使用位置から格納位置へ移動させたり、ステアリングコラムボディの垂直方向位置を調節(チルト)することです。

 ステアリングコラム(10)は、回転可能なステアリングシャフト(14)を支持するためのステアリングコラムボディ(12)と、このステアリングコラムボディ(12)を保持するためのステアリングコンソール(18)とを有しています。この場合、ステアリングコラム(10)は、第1の調節装置(20)と第2の調節装置(22)とを有し、第1の調節装置(20)は、たとえばステアリングコラムを走行時の使用位置から格納位置へ移動させるために、ステアリングコンソール(18)に対して相対的にステアリングコラムボディ(12)を軸方向に調節するために用いられ、第2の調節装置(22)は、たとえばステアリングコラムボディの垂直方向調節(チルト)のためにステアリングコンソール(18)に対して相対的にステアリングコラムボディ(12)を垂直方向に調節するために用いられます。

 大きな特徴は、第1の調節装置(20)がラック伝動装置(26)を有し、このラック伝動装置(26)は、第1のラック駆動ユニット(28,128)の回転数(ω)を一定に維持したままで(bei konstanter Drehzahl)、ステアリングコラム(10)を、第1の調節領域(B1)内では第1の速度(V1)で調節し、かつ第2の調節領域(B2)内では、第1の速度(V1)とは異なる第2の速度(V2)で調節するように形成されていることです。

 「Drehzahl」(回転数)ですが、DeepLにかけると、何故か「速度」という訳になってしまいますが、しかし決して「回転数」(Drehzahl)=「速度」(Geschwindigkeit)ではありません。特にこの場合には、駆動装置(モータ)の回転数を一定に維持したまま、調節領域ごとに調節速度を変えることができるようになっているので、「Drehzahl」を「速度」と訳すと構成が極めて不明りょうになり、完全な誤訳とみなされます。

 クレームにおけるこのような誤訳は権利範囲を損ねる致命傷になりかねません。当たり前ですが、特許翻訳者であれば、十分に技術内容の裏付けを取って訳すよう心がけましょう。
 
 
 

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